目で見るはなし康弘の活動
火曜日の駅立ちは「ひたち野うしく駅」(R3.10.26)
10月26日の駅立ちはひたち野うしく駅。この駅は、昭和60年開催の科学万博にあわせて造られた万博中央駅(臨時駅)の跡地に、平成10年に開業した。周辺は、都市機構により、優良な住宅地として整備され、牛久市の人口増の原動力となっている。この地域発展の鍵はJRとつくばエクスプレス双方の輸送力の増強だ。私は、つくばエクスプレスの議連会長として、この、良い意味での競争を促してきたし、今後も、促していく考えだ。
月曜日の駅立ちは娘二人と(R3.10.25)
10月25日の駅立ちはJR荒川沖駅。取手市内の自宅を5時半に出発し、6時10分頃から駅頭に立つ。この日は、長女と三女の娘2人も参加。お手伝いをしていただいた皆様によれば、いつもの駅立ちよりも、私の表情が、いつもより柔和になっていたらしい。
守谷市内での街頭活動(R3.10.24)
10月24日、日没後の守谷市内での街頭演説。現在、守谷市は順調に発展しているように見えるが、その礎となったのが、つくばエクスプレスの開業と下水道等の都市基盤整備だ。まだ守谷町で、TXも未開業だった時代、当時の大和田町長や会田町長が、都市基盤の整備に尽くした先見の明に敬意を表するとともに、これからの守谷の発展のためにも、国と県、さして市との連携関係をより強固なものとしていくことが必要と訴える。
人口減少の団地の再生を。藤代での街頭(R3.10.24)
牛久に続き藤代で街頭。人口減少社会の中で、東京郊外の古いベッドタウンは、もっと大きな問題を抱えている。昭和50年代、夫婦と子ども3人で購入したマイホームは、車社会以前で区画が狭かったため、子どもが独立したときに2世帯住宅とすることはできず、老夫婦だけの世帯となり、やがて空家となり、誰が所有者かも分からなくなる。このようなt、管理者のない空家を再生しなければ、私たちの地域の再生はない。その近道は、隣地所有者に隣の空家を活用してもらうことだ。そうすれば2世帯住宅もできる。この日は…
東京への近さを生かす。牛久市での街頭(R3.10.24)
10月24日、牛久市での街頭演説。牛久市はこれまで、東京のベッドタウンとして発展してきた。「ひたちの牛久」駅も、昭和60年の万博中央駅をもとにしたものだ。後述する高齢化の進む旧来の団地に対する対策のほかに、やはり、新たに人を呼び込むため、牛久をもっと東京に近くする戦略が必要だ。その意味で、平成16年の国会質問で後押しした「JR上野東京ライン」の輸送力増強が大切だが、そのためにも、身近な競争相手であるつくばエクスプレスにも頑張ってもらい、双方がいい意味での競争を行い、殿様商売に…
遊説の合間、ゲートボール大会に顔を出す(R3.10.24)
遊説の合間、ゲートボール大会に顔を出す。今日は、天気も良く暖かくなりそうだ。皆様のますますの健康を願うとともに、是非投票所に足を運んで頂くようお願いする。
阿見町での街頭(R3.10.24)
10月24日、阿見町での街頭。昨日に引き続き、霞ヶ浦導水事業による霞ヶ浦の水質浄化を起爆剤とした地域発展の構想を語る。 成田・茨城空港に近い日本第2の湖の浄化が果たされれば、アフターコロナの時代、外国人の方が訪れる魅力ある資源となり得る。霞ヶ浦2橋も、阿見町の皆さんが土浦協同病院に早く通うためだけに造るのなら、地方負担でまかなえということになるが、外国人観光客が霞ヶ浦を周遊し、日本でお金を落として頂けるなら、国の事業として行う可能性が高まることを説明。
旧東町での街頭(R3.10.23)
旧東町での街頭。霞ヶ浦導水事業は、私が法務副大臣時に和解し、民主党政権で中断していたものを再開にこぎつけた(令和12年完成予定)。その意義を報告。水中の有機物の量を示すCOD(化学的酸素要求量)は、8.0以下で水泳可、5.0以下で水泳適と言われ、勿論5.0以下が推奨される。昭和40年頃、霞ヶ浦は、4.0台だったが、その後急激に悪化して遊泳場は閉鎖され、昭和50年代には14.0まで上昇した。それが、多くの方の努力で、現在は6.8、あと一歩のところにきている。これを那珂川の水(2…
旧桜川村・大杉神社境内で街頭演説(R3.10.23)
10月23日、旧桜川村・大杉神社境内で街頭演説。民主党政権下の平成24年、裁判を起こされたことを理由にと中断してしまった霞ヶ浦導水事業は、私が法務副大臣時に和解。平成29年に公示が再開して。完成は令和12年まで伸びてしまったが、これが完成すれば、「泳げる霞ヶ浦」が現実のものになってくる。これを起爆剤にした観光開発を進めることで、地域に雇用を生み、経済の柱としていかなければならない。ちなみに、大杉神社は、霞ヶ浦の漁業や航海の安全のため、約1300年前に創建された。
旧江戸崎町での街頭演説(R3.10.23)
美浦村の後、旧江戸崎町での街頭演説。政府のコメ対策を説明した後、野党のコメ政策について論評。農家向けには、「備蓄米を買って米価をつり上げる。」と言いながら。消費者向けには、「買ったコメは、生活弱者にタダで差し上げる。」という。これでは、需給の引き締めには一切効果がないばかりか、米価が暴落することも説明。