10月23日、旧桜川村・大杉神社境内で街頭演説。民主党政権下の平成24年、裁判を起こされたことを理由にと中断してしまった霞ヶ浦導水事業は、私が法務副大臣時に和解。平成29年に公示が再開して。完成は令和12年まで伸びてしまったが、これが完成すれば、「泳げる霞ヶ浦」が現実のものになってくる。これを起爆剤にした観光開発を進めることで、地域に雇用を生み、経済の柱としていかなければならない。ちなみに、大杉神社は、霞ヶ浦の漁業や航海の安全のため、約1300年前に創建された。
美浦村の後、旧江戸崎町での街頭演説。政府のコメ対策を説明した後、野党のコメ政策について論評。農家向けには、「備蓄米を買って米価をつり上げる。」と言いながら。消費者向けには、「買ったコメは、生活弱者にタダで差し上げる。」という。これでは、需給の引き締めには一切効果がないばかりか、米価が暴落することも説明。
10月23日、美浦村での街頭演説。コメの売値がそれほど下がっていないにもかかわらず、農家の手取りが下がってしまった背景を説明。既に、来年には追加払いの余地ができるような対策を講じたことを説明し。自民公明の連立政権は、しっかりと、農家の安心を確保していく。
10月21日早朝に藤代駅で駅立ちした後、10月22日早朝は、取手駅西口で駅立ち。取手市議会議員の皆様や、郵便局長会初めとした後援会の皆様とともに、お願いをした。冷たい雨の中協力して頂いた支援者の皆様には、言葉の本来の意味で感謝感激。
10月19日は、取手駅西口での駅立ちの後、出陣式を済ませた。その写真もあるはずだが、そのデータが手元にないので、後日アップする。翌日は早朝から牛久駅での駅立ち、自民党牛久支部の皆さんや郵便局長の皆様にお世話になった。その後午前8時に選挙カーと合流し牛久駅頭で街頭。現在当たり前のように利用している「上野東京ライン」だが、平成15年頃には、神田駅周辺商店街の反対により計画が頓挫していた。平成16年に、私が国会質問で、国土交通省もJRと一丸となって説得に当たるよう要請し、神田商店街との調整が加速化、ようやく計画が実現に向かって動き出したことを紹介。思いつきで変革を訴える政治でなく、未来へのしっかりした構想を持ちながら、丁寧な手法で、国民の声を形にする「確かな政治」こそが私たちの未来を拓くことを強調。その後選挙カーで選挙区内を遊説。
10月19日公示、31日投開票の衆議院議員総選挙の日程が決まった。私も、すぐに地元活動に入りたかったが、自民党のコメ政策の取りまとめ、自民党の公約作り、公約の議員向け説明等で、なかなか地元に入れないでいた。これからは地元活動だ。この日、10月18日の守谷を皮切りに、取手、藤代、龍ケ崎市、牛久等、順次駅頭に立っていく。選挙の手伝いに来ていた長女・3女と一緒に駅頭に立った。急な寒さに見舞われ、手足をさすっていたら、3女から、「パパ見苦しいからやめなさい。」と言われてしまった。写真は3女がとった。なお、タスキを裏返して使っているのは、公示前は、公選法により、「葉梨康弘」の表示ができないため。駅立ち中も何人かの方から聞かれた。
江戸崎に引き続き、龍ヶ崎市で辻たち。私と運転手と2人だけでの街頭活動だ。これまで私たちは、圏央道の4車線化、霞ヶ浦導水事業の推進による霞ヶ浦浄化、JRやTXの輸送力増強など、県南発展の起爆剤となるインフラ整備を進めてきたが、その歩みを続けさせて頂くよう訴える。
9月29日の総裁戦後、10月14日の解散までの間、私は、農林水産副大臣としてコメ対策のとりまとめに当たり、さらに、自民党政務調査会長代理として党の公約作りに当たるなど、なかなか地元に帰れないでいた。10月17日は、朝から冷たい雨となったが、稲敷市江戸崎で久しぶりの街頭。米価は、6万㌶を超える主食用米からの作付け転換を促した結果、千数百円下げの取引水準となっているが、農家の手取りが、現在2千円から3千円下がっているのが現状だ。これは、昨年、全農が大はな赤字を抱え概算買い取り価格を大幅に下げたことに起因する。この点については、8月から、農林水産副大臣として対策をとりまとめ、コロナの需要減分を事実上史上隔離する特別枠を設けたり、保管経費への支援を行うことで、農家に対する清算金の追加払いの余地が生じる対策を講じたことを報告。
10月14日、衆議院が解散された。わが国が内外ともに国難に直面する中求められるのは、わが党が、国民の声を今まで以上にしっかり聴き、その声を形にする、寛容で丁寧な政治だ。私は、これまでも、多くの政策を形にしてきたが、これまでの活動と、未来への覚悟をしっかりと訴えていきたい。この日、岸田総理と必勝を期す。
9月9日、長崎県に出張し、8月の豪雨災害の被災地を視察。お盆を挟んだ豪雨は、福岡、佐賀、長崎などの北九州や広島、長野など、広範囲の地域に甚大な被害をもたらした。長崎県は、山がちな地形のため、棚田の崩落、農道農地の地滑り等の被害があった。復旧には早急な地盤調査等が必要になるため、プッシュ型の支援等を約束した。