人口100万人のウランバートルから、車で30分の郊外。もうそこは草原の国だ。遊牧民の住居であるゲル(テント)が点在し、人口の10倍もいる家畜が草を食む。もっと田舎では電柱もなくなり、電気は、移動式のソーラー発電のみ。ただ、夏はのどかだが冬は零下40度の酷寒。モンゴル経由で韓国入国を果たすため、脱北者は主に冬季に、徒歩で中蒙国境を越える。運良く早期に国境警備兵や遊牧民に救助されれば助かるが、さもなければ凍死。死をかけた逃避行で、実際に凍死する家族も多いという。
モンゴル外務省のフレルバータル・アジア局長(前駐日大使)から、北朝鮮を含む東アジア情勢についての説明を受ける。モンゴルは、中ロの緩衝国として、伝統的に、外交におけるバランスを非常に気にしている。その中でも、今回、グンダライ保健大臣やバダムダムディン議員が、人権問題について北朝鮮包囲網を形成することとなる会議を主催した意義は大きい。モンゴル外務省も、最終的には、北朝鮮を国際社会の枠組みの中に引き戻すことを目的とする会議であるという位置づけで、会議の開催を了解したとのことだ。
8月8日は、朝8時から、テルビシダグワ農牧業大臣との会談。モンゴルは、人口の40%が遊牧に従事する牧畜国だが、耕作農業は発達していない。輸出は少量の馬肉を日本に輸出する程度で、穀類や野菜は、自給できず、わが国同様に輸入国だ。私は、自民党の農林部会長代理・畜産酪農小委員長として、①畜産分野における国際協力の重要性、②わが国とモンゴルとがWTO農業交渉において共同歩調をとることの重要性について発言し、先方の理解を得た。
北朝鮮人権・難民問題国際議連の総会は、午前9時から午後6時まで、活発な議論が交わされた。参加者は、議員だけでなく、日本、韓国、モンゴルのNGOも参加、拉致問題解決を訴えたほか、北朝鮮難民が、特に中国国内で、深刻な人権侵害にさらされている現状について報告が行われた。写真は、議員だけでなく、NGOの参加者も含めた会議参加者。
北朝鮮人権・難民問題国際議員連盟の総会が開かれたモンゴル国政府庁舎(国会議事堂)。モンゴルは、アジアで初めての社会主義国で、この建物も、ソ連の援助により建設された。多くのシベリア抑留日本兵が建築に従事したという。民主化後も、中国及びロシアとのバランスに最も神経を使いつつ、北朝鮮との外交関係を維持しているモンゴルの議員が、今回、この議員連盟の総会を主催した意義は極めて大きい。主催者であるバダムダムディン議員は、翌日早速北朝鮮大使館に呼びつけられ、強く抗議されたという。
今回の北朝鮮人権・難民問題国際会議には、ホスト国モンゴルをはじめ、日本、韓国、英国といった国々のほか、ブルンジ、アンゴラのアフリカ勢の参加を得ることができた。私の向かって左がブルンジの代表、向かって右がアンゴラの代表(2名)。ブルンジ代表のフィデル氏に聞いたところ、彼は、母国から、ナイロビ・ドバイ・モスクワと3回の飛行機の乗り継ぎを行ってウランバートル入りしたということだ。
今回の、「北朝鮮人権・難民問題国際議員連盟」には、自民党からは私と、小林温参議院議員の2名が参加した。小林議員とともに、今回の会議での総合司会をつとめた韓国・ハンナラ党のソン・ヨンサン議員を囲む。
8月7日、モンゴルのウランバートルで、「北朝鮮人権・難民問題国際議員連盟」の総会が開催された。わが国の自民党からは、私も含めて2名の議員が派遣され、党内での対北朝鮮施策の報告を行うなどの機会を得た。8月6日午後日本発、ソウル経由で当日の午後12時半に現地入り。翌日は朝9時から夜にわたってみっちり会議。8月8日は、現地要人との会談。8月9日早朝に現地発という強行日程だった。rn
茨城県民にとって長年の夢だった、秋葉原~つくば駅間を結ぶつくばエキスプレスが、昨年8月24日に開業した。ただ、我々沿線の議員としても、今後も、周辺の宅地開発の状況をフォローアップするとともに、秋葉原から東京駅への延伸を期すことにより、最大限のネットワーク効果が得られるようにしていくことが必要だ。この日は、私が事務局を務める「つくばエキスプレス利用・建設促進議員連盟(会長・倉田寛之元参院議長)」総会。写真は、つくばエキスプレス東京延伸に向け、決議文を読み上げる葉梨康弘。