国の借金千兆円超が招く危機(1)~国債増発・バラマキ政策は亡国の道

2010-2-9

日本の個人金融資産は千兆円弱

財務省によると、本年3月末で、国債や借入金など、国の借金の残高が、ついに900兆円を突破、924兆円に上るという。
しかも、現在国会で審議中の平成22年度予算案には、44兆円超の新規国債発行が盛り込まれており、来年3月末には、国の借金の残高は、約970兆円と、千兆円に限りなく近づく計算だ。
そして、今の政権が続き、「マニフェスト」に掲げた政策を実行していくと、今後も、こども手当の満額支給、高速道路無料化等々、多額の財源が必要な事業の目白押しで、3年後の平成25年度には、55兆円の新規国債を発行せざるを得ず(財務省試算)、政府の借金の残高も、約1200兆円と、千兆円を軽く突破する公算だ。
「こんな借金とても返すことができない」というのが、大方の印象だが、これまでは、低金利の中で、借金の「借り換え」が比較的スムーズに行われ、財政はなんとかもっていた。
しかし、国の借金が千兆円を大幅に超える事態は、次に述べるように、「破綻の危機」を現実のものとしてしまう。
その意味で、現在の国債増発・バラマキ政策は、亡国の道だ。(膨大な借金でも低金利の不思議)

多額の借金を抱えている企業がさらに借金をしようとする場合、貸す方からすればリスクが高いため、「ハイリスク・ハイリターン」で、金利が高くないと、誰もお金を貸してくれない。
これは、国家の場合も同じで、一般的に、国債残高が大きくなれば、長期期金利も上昇してしまう。

ただ、わが国の場合、GDPを上回る多額の借金をしながら、国債の金利は、現在1.3%(10年もの)と、低金利を維持している(米国は約4%、豪州は約5%)。

わが国経済が、超低金利の渦中にあることがその理由として挙げられることが多いが、これはやはり、わが国の借金が、ほとんど国内で消化できてきたことが大きな要因だ。
すなわち、ある人に、既に年収の20倍を超える借金があり、毎年その年収を上回る借金をし続けなければならなかったとしても、兄弟親族から借りているうちは、金利は相当低くて済む。
しかし、外部の金融機関から借りなければならなくなった途端に、金利が跳ね上がるか、さもなくば貸してくれなくなる。
わが国も、国債を、日本国民が消化できているうちは良いが、外国人投資家に買ってもらわなければ新規国債の消化ができなくなった時点で、「破綻」の2文字がちらつき出してくる。

(わが国の個人金融資産は千兆円弱)

日本人は、「多額の金融資産を持っている」と言われている。
冒頭の表にも掲げたように、平成13年末の個人金融資産総額は1400兆円だ。
ただ、住宅ローンなどの負債も300兆円強あるし、株式投資に回っているお金も100兆円程度ある。
実際の所、使える金融資産は、約千兆円だ。
そして、この20年程度の顕著な傾向は、銀行にせよ、郵貯にせよ、生保にせよ、国内の他の金融商品が余りにも低金利なため、多くの場合国債を買っていたということだ。

だから、千兆円に近づこうとしているわが国の国債・借金の95%は、これまで、日本人自身が、債権者として消化してくれていたし、外国人投資家が、金利の決定権を持つということもなかった。

しかし、政府借入金残高が千兆円を大幅に上回ってくると、今までとは話が違う。
新規の国債を、日本人が消化できなくなる事態が生じてくる。

わが国の国債の国際的格付けは決して高くない。
トリプルAクラスの国では、恐らくは、10年もの金利4~5%程度が相場だろう。
新規の国債消化を外国人投資家に委ねれば、当然金利は跳ね上がる。
新規国債の金利が跳ね上がれば、当然、中古(?)国債の金利もそれに応じて跳ね上がる。

乱暴な試算だが、政府借入金残高が千兆円として、現在1.3%の金利が、仮に米国並みの4%程度に跳ね上がったとしよう。
国の金利負担は、これまでの毎年13兆円から40兆円に急増。
何よりも、国の税収(平成21年は36兆円)よりも、これまで発行した国債の金利負担の方が多いという、異常な事態に突入してしまう。
外国人投資家に対する債務が払えなければ、国家財政のIMF(国債通貨基金)管理、強制的国民負担増(増税)のシナリオも、現実味を帯びてこよう。

だからこそ、私は、「国の借金千兆円超」は何としても阻止したいと考えているし、今の政権の国債増発・バラマキ路線は、亡国の道であると考えている。
ただ、私は、感情的に現政権を批判しようとは思わない。
これまでの借金体質を作ってきたのは、決して民主党だけの責任ではなく、「古い」自民党が主導してきたことは、率直に認めなければならない。
このため、次回のコラムでは、小泉構造改革の意味、麻生政権の財政出動の性格、現政権のマニフェスト等を検証しながら、今我々が、子孫につけを残さないために何をなすべきか、論じてみたいと思う。