ほろ苦い憲法記念日~民主党(me主党?)は「国民の決意表明権」を奪うつもりか?
2008-5-5
2008年5月3日の憲法記念日、「民間憲法臨調」主催の第10回公開憲法フォーラムに出席、櫻井よしこさんの基調講演後、約25分間の提言を行った。冒頭私は、「(国民投票法案審議の真っ最中だった)昨年と比べ、(それが大きく後退、)国会に憲法論議の受け皿すら無くなった今年の憲法記念日は、高揚感が欠けることは否めない。内心忸怩たるものがある。」と発言、率直に、遺憾と反省の弁を述べた。
これまで、国会では、2000年に憲法調査会が設置され、これが2005年には憲法調査特別委員会に衣替え、憲法に関する調査や論議が進められてきた。
そして、2007年の夏以降は、憲法論議の場は、新たに設置される憲法審査会に移るはずであったが、この憲法審査会、今なお、参議院第1党の民主党の反対で設置されないままになっている。
その民主党、例えば、山岡賢次国会対策委員長は、3日、憲法論議について、「今そういう雰囲気ではない。内閣支持率を見ても、内閣の体をなしていない。安定した環境が整った時に論議は行われるべきだ」と記者団に語ったという。ただこの発言、従来の民主党の主張とは180度異なるものだ。私たちは、この数年間、「憲法論議は、内閣とは別個に、国会主導で行う」という自負を持ちながら、中山太郎会長・委員長の公正公平な差配の下、わが国のあるべき姿についての議論を進めてきた。
2001年の愛媛丸事件等で、当時の森政権の支持率が10%を切ったときも、憲法論議は、国会議員の責任において進められた。
そして、私の印象では、民主党サイドが、内閣から独立した形で、憲法の調査や論議を進めるべきと、強く主張していたように思う。
だから、2007年1月、当時、50%を超える高支持率を記録していた安倍晋三首相が、年頭会見で、「私の内閣の任期中に、憲法改正を目指す」としたことに猛反発したのは、民主党だった。
例えば、枝野幸男憲法調査会長は、国会で、「今年、安倍首相が憲法に関する暴言を繰り返すようになってから、議論の質が一変した。政治論的には15年、政治思想的には 150年後退した」とし、「内閣主導で憲法改正を目指す」などという発想は、「憲法が、国家権力の乱用を封じるルールである」という「近代立憲主義」を全く理解していないと、安倍首相を痛烈に批判した。
このような批判に対し、私は、昨年春の委員会答弁で、「憲法論議が内閣主導でなく、国会主導で行われてきたことは枝野委員も理解していると思う。これからもそうだ。ただ、安倍首相にも、1人の国会議員として、改憲への希望を表明する自由はある。でもそれだけのことだ。我々は、内閣から指示を受けて、国民投票法案を提出しているのではない。」と応じたことを鮮明に憶えている。
その民主党の皆さん、先の山岡発言とか、鳩山幹事長の「低支持率の福田政権では憲法論議はできない。憲法論議は、ネジレを解消し、民主党政権になってからやろう。」(読売新聞)という発言を、どう評価するつもりなのだろうか。
結局、民主党、まともに、近代立憲主義や憲法のことなど考えていなかったということだろう。
「野党のときは、与党の勝手に憲法論議はさせない。自分が政権をとったら、好きなように憲法を料理する」では、彼らが標榜するのは、民主主義でもなんでもない。
山岡・鳩山発言は即時に撤回されるべきで、そうでなければ民主党、明日からでも「ミー(me=自分)主党」と改名すべきだ。
数ある法律の中で、「憲法」だけが、原案作成は国会議員に委ねるとはいえ、国民が直接確定する(だからこそ最も国民に近い存在でなければならないのに、遠い存在とされていることが問題なのだが。)。
朝鮮半島情勢の不安定、中国、ロシア、インドの台頭に加え、米国の大統領交代など、21世紀国際社会は大きく変貌している。その荒波の中で、国民が、わが国の将来を、自ら決めることのできないようでは、日本という国や民族は、いずれ滅びてしまう。
今日は詳しく論じるつもりはないが、虚心坦懐に現行憲法を見れば、アバタもあればエクボもある。
私は、日本国民が、日本をより魅力のある国にするため、憲法のアバタを直し、エクボを生かす決意と自信を持つべきと思うし、その道を作っていくのが、国会議員の務めだと思う。
「憲法=国民の決意」論に大いに同調されたのが櫻井よしこさん。
フォーラム終了後のレセプションの冒頭の挨拶で次のように述べていただいた。
「今日は、憲法とは『国民の決意』という葉梨議員の論に大変感動しました。激変する国際情勢は、わが国の国民に、もう長いこと、『日本国民はどうやって生きていくのですか、どういう国をつくるのですか』という『決意』を迫ってきました。この決意を示さなければならないときなのです。国民の『決意』をしっかりと示していくことができるよう、国会議員の皆さんにも頑張っていただきたい。」
さらにこれを敷衍(ふえん)されたのが、乾杯の音頭に立たれた、ルバング島で30年を過ごされた小野田寛郎さん。
「憲法は『国民の決意』というが、もっと『覚悟』を持って欲しい。私は、ルバング島で30年、憲法のない世界で暮らしてきた。それでも、銃によって衣服を奪い、食物を育てながら、ヒトは1人では生きていけないことを知った。今、ブラジルでもそうだ。極限の中でいたからこそ、ヒトは、回りのヒトがいて初めて生きていけると悟った。でもその中で生きて行くには、『覚悟』が必要だ。今、日本人が、日本人として生き続けるためには、私は、日本人が『覚悟』することが絶対に必要だと思う。」
ほろ苦い憲法記念日ではあったが、櫻井よしこさん、小野田寛郎さん、駒沢大学の西修先生、日本大学の百地章先生、さらに会場でお会いした南部義典さん、多くの心ある人達に久しぶりも含めてお話しをすることができ、大きな力を得た。
私たち国会議員は、たとえその時の内閣の支持率がどうであれ、国民が、その「決意」=「覚悟」を表明し、全世界に発信する権利を、決して奪ってはならないと思う。
余り票に結びつく仕事ではないことは承知の上だが、私は、国会議員として選ばれた以上、全力を尽していく。