「自由・平和・活力」の日本を創らなければ~保守本流・宮澤元総理を悼む

2007-9-5

宮澤元総理とその文章

8月28日の日本武道館、去る6月28日に逝去された故宮澤喜一元総理の内閣・自民党合同葬が、しめやかに営まれた。
氏は、池田勇人、大平正芳及び鈴木善幸といった総理大臣を輩出した名門派閥「宏池会」を率い、「軽武装・経済重視」の、いわゆる「保守本流」の代表選手であった。
そして、1951年のサンフランシスコ講和会議への全権随員として参加の後、1953年から2003年までの50年間、国会議員として在職、総理のほか、蔵相、外相等の主要大臣を歴任、戦後政治を名実ともにリードされた。
私は、午後1時に会場に入場し、会場を出たのが午後3時半、厳粛な葬儀に参列しながら、故宮澤元総理が体現された、「保守本流とは何か」、「戦後政治とは何か」ということを考えていた。
「保守本流」路線とは、良く、外政面では、日米関係を基調としつつ、アジア戦略も重視する「ハト派」、内政面では、「大きな政府」を指向してきたと言われることがある。
でも本当にそうだろうか。例えば、「保守本流としての大きな政府路線は、冷戦の終結とバブルの崩壊によって、歴史的潮流から取り残され、転換を迫られたが出来ず、『失われた10年』となった。」(中川秀直前自民党幹事長)という主張もあるが、これはちょっと事実と違うように思う。

池田、大平、鈴木、宮澤と続く「宏池会保守本流」の系譜に属する政治家たちは、決して、「大きな政府」(悪く言えばバラマキ)を指向していたわけではない。
例えば、所得倍増計画を推進した池田元総理は、大蔵大臣当時、有名な、「私は所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたい」という、竹中元経財相を彷彿とさせる答弁をしている。ある意味での経済原理主義者だ。
また、大平元総理は、「増税政策(一般消費税導入)」を公約に掲げて総選挙を戦った戦後唯一の総理大臣だ。
さらに、鈴木元総理は、戦後初めて「増税なき財政再建路線」を提唱、第二次臨時行政調査会(いわゆる土光臨調)を発足させ、その後の行政改革、すなわち、「小さな政府路線」のさきがけとなった。

私は、戦後、わが国が焦土から復興し、急速な経済発展を遂げるに当たっては、外国、とりわけ米国の技術のスムーズな導入と、外国資本の流入阻止が、大きな鍵を握っていたと考えている。
そのためには、「強力な政府」が、民間経済をリードする必要があった。だから、私には、所得倍増から高度成長にかけてのこの時期、保守本流に属する政治家が、「日本株式会社」という「大きな政府」の構築に全力を注いだというのが真相に思える。「保守本流の系譜」は、確かに経済重視ではある。しかし、その手法がイコール「大きな政府」であるという考え方には、賛同しかねる。

では、「保守本流」の哲学を形つくってきたものとは何だったのだろうか。
私は、そのヒントを、合同葬の場で配布された宮澤元総理の次の文章(抜粋)に見たような気がする。
「昭和6年満州事変が起こったとき、私は小学校6年生で、作文の時間にみんなで兵隊さんに送る慰問文を書きました。(中略)
斎藤隆夫代議士が軍部を批判したという理由で衆議院から除名されたのは昭和15年でした。(中略)
戦争中は、みんなと同じように空襲で家が焼けました。赤紙召集。とにかく生き残って敗戦。そして占領。
ものごころついてから成人するまで、思えば長い灰色の時代でした。しかしいま、当時を回想して戦争中の苦労や食べ物のなかった辛さなどはほとんど憶えていない。ただひとつ、年とともに自由が圧迫されて、ついにまったく死滅するに至ったその苦しさ、それをどうにもできない憤激だけが、今日でも忘れることができません。(中略)
自由は、ある日突然なくなるものではない。それは目立たない形で徐々に蝕まれ、気がついたときにはすべてが失われているような過程をたどります。わずか数十年前に、このような経験をしたわれわれは、将来にわたって自由の制限につながるかもしれないどんな兆候に対しても、きびしく監視する必要があります。(中略)
再び歴史の魔性に引きずられることがないために、われわれは憲法の言うように、『不断の努力』をもって自由を大切にし、日本社会の活力を守ろうではありませんか。」(宮澤喜一著「新・護憲宣言」より)

わが国が再び歴史の魔性に引きずられることがないよう、日本を再び戦争をする国にしないよう、わが国の社会から再び自由が失われることのないよう、だからこそ経済を重視しながら、どうやって国民に夢を与えることができるかを模索してきたのが、「保守本流政治」だったと、私は考えている。
ただ、わが国社会は、政策手法として、冷戦構造下の高度成長期の成功体験から脱却しなければならないことも事実だ。いつまでも「大きな政府」の時代は過ぎた。
だから、宮澤元総理の遺志を受け止めるためにも、まず、内政面では、現在の財政を踏まえた行政改革を徹底しなければならない。そして、場合によっては、かつての大平総理のように、国民に将来展望・将来像を示しつつ、現在の民主党が裏付けもなく主張する無責任なバラマキでなく、責任をもった負担増の議論もしていかなければならない。今、懐の深い改革の継続こそが求められている。
加えて、我々は、「平和」を大切にしつつ、国際貢献の問題等について、憲法に関しより緻密な議論(私はリベラル改憲論)をしていく必要がある。

私は、旧来流の派閥政治が良いとは思わないし、名門派閥だからといってプラス評価をすべきとも思わない。ただ、「自由・平和・活力」の「戦後」という時代を創った「保守本流」の哲学は、決して消してはならない。そして、「政治の軽さ」がささやかれる今、自民党も、原点に立ち返り、保守本流の哲学を肝に銘じていくべきだ。

天皇陛下名代、文仁親王ご夫妻ら各皇族、河野衆院及び江田参院の両議長、安倍自民党総裁、太田公明党代表、志位共産党委員長、福島社民党党首及び綿貫国民新党代表と、唯一欠席した小沢民主党代表を除く各党党首らが心からの弔意を示される厳粛な葬儀の最中、私はそんなことを考えていた。