愛知県連大会で「年金も憲法も」と訴える~極めて不見識な「憲法より年金」の主張

2007-6-26

「年金も憲法も」の姿勢が重要と訴える

6月23日、名古屋で開催された自民党愛知県連大会。
私は、党憲法審議会事務局次長として、「新憲法制定を目指して」という演題で、20分ほどお話をさせていただいた。
もっとも、「宙に浮いた年金問題」で、国民に年金への不安が高じている今、いきなり憲法問題だけでは、「浮き世離れしている」という声も起きかねない。
この点について、私自身は、わが自民党は、この選挙で、堂々と、年金問題でも受けて立つべきだと思うし、憲法問題についても、臆することなく、国民にその重要性を訴えていくべきだと考えている。
だから、講演では、「憲法よりも年金」という主張は極めて不見識で、「年金も憲法も」の視点こそが必要ということを訴えさせていただいた。
まず、年金問題。
我々は、やはり、政府与党の一員として、今まで、「社会保険庁」という、「腐った組織」を叩きつぶすことができなかった責任を痛感しなければなるまい。その上で、さらに前向きに、国民の年金への不安を解消するためには、あの組織に属してきた人たちに、どうやって目の色を変えて仕事をしてもらうか考えることが大切だ。
だから、来る参院選では、与党が、今国会で、野党や労組の徹底抗戦に遭いつつ、「社保庁職員を一旦全員解雇、年金不信解消に取り組んだ職員のみ再雇用」という社保庁解体を推進してきた事実を、愚直に訴えるべきだ。
もっとも野党の皆さん、6月17日のNHK日曜討論でも、「これだけ不安が広がっている時期に組織をいじるべきでない」と主張。何か衣の下の鎧が見えてきたような気がする。
不安解消のためは、社保庁の組織を解体し、癌細胞を形成してきた職員(組織率9割という鉄の結束を誇る労働組合の指導者の方々?)には心を入れ替えない限り「去ってもらう」荒療治こそ必要で、社保庁の組織と公務員の身分の温存は百害あって一利無しだ。
さらに、野党の皆さんは、決して消えているわけではない未統合の5000万件を、「消えた」と決めつけることで、必要以上に国民の不安を煽っているが、このことを組織温存の論拠に使うようでは、政治家の良心に照らして、ちょっといただけない。
今回の選挙では、組織を解体する与党と、自らの支持基盤でもある組織の温存を目指す野党の、いったいどちらの施策が、年金不安解消のために有効か、有権者に、しっかり判断していただく必要がある。

でも、この年金問題、私は、社保庁改革を確実に実施することで、向こう1年程度のうちに、国民の不安を解消することは可能だし、また、そうしなければならないと考えている。
ところが、参議院議員の任期は6年。解散もない。
「年金」というシングルイシューで当選した参院議員は、年金不安が解消した後、あと5年間、何をするのだろうか。
やはり、ことさら年金のみの争点化に逃げ込むだけでなく、この6年の間に何をしたいのか、パッケージで国民に対して訴え、選挙に臨むことが必要ではないか。

特に、今国会で国民投票法が成立、次の臨時国会から、戦後初めて、憲法改正原案の発議権を持つ(ただし法公布後3年間は発議しない。)「憲法審査会」が、両院に設置される。
参議院は、「良識の府」であり、参議院議員には、本来、長い目で国の行く末を見つめ、党利党略に陥ることなく、大所高所からの議論をすることが求められる。だからこそ、衆議院議員と比べ、その任期も長い。
そして、私は、こと、「憲法」という国の根幹にかかわる課題については、何時解散があるかもしれず、とかく「切った張った」の我々衆議院とは違った観点から、参議院における冷静かつ公平な議論が、大いに求められるべきと思う。
だから、参議院選挙の候補者には、自らが、この「憲法審査会」に、どのような立場で参画していくのかということを有権者に訴え、その判断を積極的に仰ぐ姿勢が必要ではないか。
このように、参議院という、良識の府のメンバーを選ぶ選挙であるからこそ、例えば現在の小沢民主党のように、「憲法よりも年金」などと、「憲法問題」にほおかむりをして、「目前」のシングルイシューに逃げ込むことは、絶対にあってはならない。

その意味で、「年金も憲法も」という視点は、極めて重要だ。
勿論、改憲、加憲、護憲あるいは態度不明という候補者の姿勢のいずれを選ぶかは、まさに有権者の賢明な判断に委ねられるべきだ。
ただ、憲法への姿勢を隠すのでなく、各政党が、しっかりとしたは判断材料を有権者に提供し、争点として提示していくことは、政党としての最低限の義務ではないか。
重ねて言うが、「年金不安の解消」は極めて重要な問題だし、政府与党の総力を挙げて、早期の解決を図らなければならない。
しかし、今回の参院選が、もしもこのような短期の問題のみに目を奪われ、一部の政党が、有権者に対し、向こう6年間の国づくりについての判断材料を提供することのない選挙となってしまったら、わが国の将来に、とんでもない禍根を残すこととなろう。