構造改革と格差社会~予算委員会集中審議で小泉総理に質問

2006-3-5

葉梨康弘の質問に答える小泉総理

この国会は、「格差社会」問題や、ライブドア始め各種の不祥事など、『構造改革のカゲ?』についての野党の追及で始まった。
ただ、衆院での予算審議終盤、件のねつ造メール事件で、民主党の方がコケてしまったが、我々が、いわゆる「格差社会」問題や、構造的とも見える各種の不祥事について、どのように対処していくかということは、本来、大切な課題であるはずだ。
2月28日の衆院予算委員会での「構造改革と地方経済に関する集中審議」。
私は、自民党を代表して、小泉純一郎総理に対する質問に立った。 国会審議の花形である予算委員会だが、総理が出席するのは、「総括審議」と、「集中審議」のみで、全審議の数分の1に過ぎない。
しかも、早く予算を通したい与党は、野党議員に質問時間を多く割り当てるため、与党議員が質問に立つのは極めて狭き門。
実際、この日は、同期議員からの推薦もあり質問に立たせてもらったが、同期生初の、予算委員会での対総理質問となった。さて今、「格差社会」ということが話題となっている。

良く言われるのが、所得分配の不平等を示すジニ係数が、当初所得比で、村山内閣時代の96年(0.4412)以降、2002年には0.4983に上昇し、税金などによる補正後も0.4弱となるなど、通常、市場経済での許容格差上限と言われる補正後0.4という値に近づいているということだ。
ただこれには、構造改革政策による格差の拡大を示すものでなく、むしろ年齢構成の急速な高齢化などを反映した数値の上昇であるという有力な反論もあるが、いずれにせよ、かつていわれたような、「一億総中流」という意識は、過去のものとなりつつある。

私の総理への質問は、この「格差」ということをどう考えるかということ。

総理は、「どの国にも、どの時代にも格差はある。そういう中でどのように活力を持った国にしていくか。違いや多様性を認めながら、お互いの力を、能力を高める社会をつくることが望ましい。」と答弁、構造改革が、「結果の平等」を求めるものではないことを明確にした。

ただ、これだけでは、「強いものだけが生き残る社会」、「相手を完膚無きまでに打ちのめす社会」を目指していると誤解されかねない。国民の不安を除いていくことも政治の責任だ。
そもそも、我々が目指す「構造改革」は、「自由、かつ、自分勝手な競争」のみをいうものではないはずだ。

「自由」には「責任」が伴う。
だから、市場経済システムも、ルール重視の「公正さ」、あるいは、「相手への思いやり」というものを、内在的な文化として持っていかなければ、結局は国民からの信頼を失ってしまう。
「脱法的なルール破りでも結果オーライ」が「勝ち組」としてもてはやされるようではあってはならないし、市場における「負け組」に再挑戦の意欲を失わせるようではあってはならない。
その意味で、ライブドア、耐震強度偽装など、昨今の各種の不祥事について、私は、「改革のカゲ」というよりも、「市場経済の未成熟」の産物ではないかという印象を持っている。

また、私自身、政府の役割として、「(敗者が再挑戦できるような)セフティーネットの確立」は極めて大切と思う。
ただ、それ以上に、「結果の平等」の実現を図るための財政出動を行うことには慎重だ。それでは大きな政府になってしまう。
そこで、政府によるセフティネットの確立に加え、市場のルール、「公正さ」、企業の社会的責任確保のための政策を、より重視していくべきでないか、そんな観点から総理に質問し、要請した。

これに対し、総理は、「自らの力で勝ち上がることができない人に、政治が手をさしのべることは大きな課題」と述べ、「結果の平等」を目指すわけではないが、政治によるセフティネットの確立の必要性に言及した。
その上で、「地域それぞれ(まだらもようで)違っているということことが、(ある意味では)多様な発展のもとになっている。」と、持論を答弁されたが、企業の社会的責任などの議論は、時間切れとなってしまったことが残念だった。

「構造改革路線」に対する国民の信頼を持続的に勝ち得ていくためにも、このような議論をもっと深めていきたい。