権力の怖さを知っていたからこその平和主義~政治家・後藤田正晴先生の死を悼む
2005-11-1
10月31日、去る9月19日に逝去された後藤田正晴元副総理の「お別れの会」がしめやかに行われた。
役所時代のダブリはないが、警察庁長官を務められ、「カミソリ」と異名をとった先輩の伝説は、色々なところで聞いた。
私が先輩に直接お会いしたのは、平成に入ってから、警察庁外勤課及び少年課時代に数回、さらに、退官後私自身が政治家を目指してから数回、いずれも、晩年の温顔に触れさせて頂いた思い出がある。
この日の「お別れの会」では、先輩の「ハト派」の側面が強調されていた。
もっとも世間には、「警察官僚出身」という先輩の経歴と、「ハト派」としての先輩の姿のギャップに不可解さを感じる人もいるようだ。
でも、私は、同じ役所の後輩だからこそ、政治家・後藤田正晴に、「権力の怖さを知っていたからこその平和主義」を見る。役所出身の政治家となると、世間的には、どうしても、「出身省庁の利益の代弁をしている」というイメージがある。
でも、後藤田正晴先輩は、大変「身内に厳しい」政治家だった。
私の役人時代、警察庁の官僚にとって、先輩の評判は、「警察庁出身なのに、警察庁に対して厳しい」というもの。
例えば、警察官の増員の問題にしても、与野党を問わず、多くの政治家は、「地元の要望を考えると警察官は是非増員して下さい」と、警察庁の応援団になってくれる。
しかし、先輩の場合は、役人が説明に行くと、開口一番、「増員しなくてももっと工夫できるはずだ、工夫をした上で持ってこい」という反応が多かったと聞いている。
これは、勿論、先輩の行政改革に賭ける熱意の表れでもあろう。
ただ、私には、先輩が、「権力(行使)の怖さ」を知っていたからこそ、「治安を考える上では、まずは民間も含めた制度的工夫を考え、警察官増員という権力作用の増強は最後の手段とすべき」と訴えておられたような気がする。
そして、このような、「権力は自制すべき」という考えが、勿論、先輩の戦争体験とも相まって、
○治安の維持のため自衛隊を用いるのは真にやむを得ない場合とすべき(まず、警察などの他の作用による工夫を考えるべき)
○自衛隊の海外派遣は慎重に、しかも、真にやむを得ない場合のみとすべき(まず、平和的手段による工夫を優先すべき)
などという、「後藤田的」平和主義を形作っていたのではないかと、私は思う。
もっとも、「後藤田的平和主義」は、いわゆる「非武装中立」とは、明らかに一線を画している。真にやむをえず、かつ、必要な場合は武力の行使もする。
すなわち、後藤田先輩の思想は、権力(官)の存在を否定するものでも、また、その行使を否定するものではないが、それはあくまで抑制的であるべきだという考え方に立脚している。
このようなバランス感覚が、現在、求められている。
私たちは、後藤田正晴先輩の死を契機に、今、その思想を、もう一度見つめ直していくべきではなかろうか。
合掌