下水道のことを考えてみよう~これからの公共投資のあり方
2005-6-16
下水道のことについてちょっと書いてみる。
その大きな機能は、汚水をきれいにすることと、雨水をあふれさせないこと。
実は、これらの問題は、私の住む茨城県南地域にとって、まさに切実な問題。
例えば、水質浄化という意味では、わが国第2の湖である霞ヶ浦を、きれいな湖にすることは、県民にとっての悲願。
また、私の地元取手市等では、大雨のたびに、特に谷地に開発された住宅などで、雨水があふれて浸水する被害を聞く。
6月14日の衆議院の国土交通委員会では、そんな思いも込めて、下水道法の改正案の質疑に立った。
まちづくりの観点から、我々は、何をしなければならないのだろう。
まずは、都市における浸水被害の防止対策。
茨城の県南地域は、この30年位で急激に都市化した。
このため、下水と言えば、まず、生活排水やし尿などの汚水対策が中心で、雨水対策まで手が回らなかった状況がある。
近隣の街の中では、公団が開発に乗り出した龍ヶ崎や守谷などは、汚水・雨水対策とも進んでいるが、民間開発主体の取手や牛久では、下水道による汚水の処理率が、それぞれ61.3%と75.2%なのに対し、雨水等の浸水対策の達成率は、12.6%と29.2%で、極めて低い(平成15年度末、取手は、旧藤代を除く)。
これでは、大雨が降れば水があふれ出すのも、当たり前と言えば当たり前。
今回の法案は、だからこそ、国や県も乗り出して、雨水対策を促進しようとするもの。
国会質問でも、国土交通省に対し、是非個別の地方自治体との間で、良く相談に乗ってほしい旨要望した。
2007年からの人口減社会を控え、首都圏近郊の諸都市は、いよいよ、生き残りをかけた都市間競争の時代に突入する。
そして、それぞれの都市が、どうやってその特色や魅力をアピールしていくか、真剣に考えなければならない。
でも、その前提として、汚水の処理もできていない、雨水もあふれ放題では、魅力を訴える以前に、酷な話だが、都市間競争の土俵から降りなければならないのではないか。
下水道は、いわゆるハコモノや、公園、道路のようには目立たない。
しかも、利用者から下水道使用量を徴収するから、ありがたがられず、票にもなりにくい。
でも、都市間競争に立ち向かっていかなければならない今だからこそ、とにかくできるだけ早く、下水などの身近なインフラを整備することは、まちづくりの観点から、緊急の課題と言える。
次に、霞ヶ浦などの水質浄化対策。
かつて、夏ともなると、茨城県稲敷市(旧桜川村)の浮島地区は、遊泳場として大いに賑わった。
古く常陸国風土記にも、美しい浮島の村の模様が描かれているという。
しかし、残念ながら今、その面影はない。
私は、先の国土総合開発法改正関連のコラムでも書いたが、わが国は今、国土作りの大きな転換点に立っていると思う。
今までの開発重視から、既存の社会資本の利用や、環境の保全へと、大きく舵を切り、成熟社会における真のふるさと作りを目指さなければならない。
そして、ふるさと作りの核は、いうまでもなく、みずとみどり。
今回の法改正は、呼称の水質浄化に不可欠な下水の高度処理(窒素やリンを処理)の施設を統合できるようにし、よりお金を節約しながら、今までなかなか進んでこなかった高度処理を促進、湖や沼などの水質浄化を図ろうというもの。
公共事業の中でも、このような、環境指向の公共投資は、これからの時代、是非進めていかなければならない。
とかく公共事業というと、全てが悪玉で、何か建設会社を食べさせるためにやっているかのように言う人もいる。3割カットせよという政党もある。
もっとも、そんな政党の人に限って、結果が出なくても責任を問われないものだから、自分の選挙区では、橋も道路も造る、30年前に建築された集合団地にエレベーターをつけるなどと、空手形や出鱈目を乱発する。
このような「総論反対各論賛成」の無責任は論外としても、今は、必要性も良く検討せず、要望があるからと言って、ヤミクモに橋や道路をつくるといった時代ではない。また、そんな財政的余裕もない。
でも、どこかの政党のように、公共事業の全てが悪というのは暴論だ。
現に、このコラムで述べた下水による水害対策や水質浄化対策のように、今という時代だから必要とされているものもある。
我々政治家自身も、地域にとって、あるいは国にとって、今どのような投資が必要で、また、それはなぜか、さらに、予算に見合う効果があるかということを、しっかり検証し、国民に対して説明する姿勢が大切。
政治家も、腕力で何とかなる時代ではない。