霞ヶ浦導水事業で湖周辺を観光資源化へ~交流人口の増大で「霞ヶ浦2橋」も夢でなくなる

2024-7-5

わが国第2の湖、霞ヶ浦(西浦)は、昭和40年代前半まで泳ぐことができた。しかし、高度成長後の生活排水や農畜産排水の影響で、水質が悪化、遊泳場は廃止されてしまった。
湖沼の水質の代表的指標である化学的酸素要求量(COD、水中の有機物による汚濁を示す指標)は、昭和47年代前半には5㎎/ℓだったが、昭和47年には6を超え、昭和53年には12を上回るようになってしまった。(8以下で遊泳可・水質C、5以下で遊泳可・水質Bとされている。)
もっとも最近は、下水道の整備や家畜糞尿処理の進展、さらには、霞ヶ浦浚渫の努力などにより、CODは、少なくとも西浦(以下単に「霞ヶ浦」という。)については、昭和47年頃の水準に回帰しつつある。(図)

このような霞ヶ浦の水質浄化をさらに進めるものとして期待されるのが、「霞ヶ浦導水事業」だ。
霞ヶ浦導水事業は、那珂川、霞ヶ浦及び利根川を地下トンネルで結び、那珂川の渇水期に霞ヶ浦の水を那珂川下流に、那珂川の増水期に那珂川の水を霞ヶ浦に流入させるなど、那珂川、霞ヶ浦及び利根川の水を循環させ、霞ヶ浦の水質浄化や水資源の確保を図るもので、総事業費2千億円を超える壮大な事業だ。
 CODは、湖沼や海についての指標で、河川には余り用いられないが、那珂川や利根川にはアユが生息しているところからも、COD換算で3以下と考えられ、これにより、霞ヶ浦のCOD値を5程度に低下させる効果が期待される。
ところが、民主党政権になった平成21年、霞ヶ浦導水事業は、一時凍結され、事業自体が中断してしまった。

もともと、那珂川に外来生物が入り込むおそれ等から、共産党や一部の民主党議員などは、霞ヶ浦導水事業に反対していた。また、地元の方々の懸念もあり、平成21年3月には、那珂川の漁協等から工事差止訴訟が提起されてた。
ただ、自公政権下、霞ヶ浦導水事業自体は、工事差止訴訟にかかわらず、継続した。
それが、その年の8月30日執行の総選挙で民主党政権が誕生すると、当時の前原国土交通大臣がダム事業の検証を表明、12月には、霞ヶ浦導水事業の一時凍結が決定したが、すでに事業費の6~7割を投入した事業の中断は、異例のことだった。
その後、費用対効果等の再検証や関係自治体との話し合いの場が持たれ、平成26年5月、国土交通省が、事業を継続すべきとの報告をとりまとめたが、先述した工事差止訴訟が水戸地裁で係属中であったため、事業再開自体は見送られた。
工事差止訴訟は、平成26年12月、水戸地裁で、原告である漁協側の敗訴となったが、原告が控訴したため、訴訟自体は続き、工事再開のめどが立たない状態が続いた。
さて、国が当事者となる訴訟は、法務省訟務局が訴訟代理人となる。私は、平成26~27年、平成29~30年の2回、法務副大臣を勤めたが、本件については、工事の早期再開の必要からも、最高裁まで行って国が勝訴するとを目的とするのでなく、できるだけ原告の方の意見も聴き、地元の方々の懸念を払拭した上で和解すべきとの方向性を示させていただいた。
その結果、平成30年4月、東京高裁で和解が成立、霞ヶ浦導水事業は、6年の中断を経て、ようやく再開することとなった。
勿論、原告側が懸念を示していた特定外来生物対策や那珂川の水質のフォロー等は、しっかりと手当をしていくこととなる。

工事再開後、国土交通省から、特定外来生物への対策強化等の付加的事業を講じなければならないこともあり、完成目標年次の7年間後ろ倒しが発表され、完成予定は、令和12年に変更されたが、事業の進捗自体は、ほぼ順調に進んでいる。(図)

予定通り進めば、令和8年には高浜機場が完成し、那珂川、霞ヶ浦及び利根川の通水が可能になる。(土浦は令和12年)
令和8年以降は、実際の効果検証も可能になるので、湖周辺地域の観光資源化にも弾みがつくはずだ。

霞ヶ浦の西岸地域は、常磐・県央・東関東の3つの高速道路により、もともと東京・成田とのアクセスの良い地域だが、令和8年には圏央道が4車線化されれば、さらに便利になる。
しかも、この地域は、阿見アウトレットや牛久大仏など、国際的に通用する観光資源にも恵まれている。
浄化された霞ヶ浦とあわせて、ここにインバウンドなどの交流人口を呼び込むことができれば、雇用の増大と地域の再生につながってこよう。

さらに、地元の方々の悲願である霞ヶ浦2橋も、地元の方々が使うためだけであれば、地元負担で整備してくれということになりがちだ。
しかし、今述べたような構想が実現し、インバウンドなどの交流人口を拡大してしっかりとお金をおとしていただくためにも、霞ヶ浦2橋が必要ということになれば、GDPの押し上げ効果も見込まれ、その実現は、決して夢ではない。

私も、この地域の活性化のため、さらなるお手伝いをしていかなければと思う。