領土問題にどうやって対処するか~先人達のノウハウに学ぶ

2012-9-9

経営者との勉強会で領土問題について講演

9月7日、野田首相は、国会閉会に当たり、首相官邸で記者会見を行い、「我が国の周辺海域で主権に関わる事象が相次いでいる最中に、政治的な対応に空白をつくることは、国益の観点から絶対に避けなければなりません。」とした上、衆議院の解散時期については、「 やるべきことをしっかりやり抜いた後、然るべきときに国民の信を問う、それ以上、それ以下でもありません。」と述べた。
マニフェストは総崩れで政権の正統性はとっくに失ってしまったが、最近とみに高まっている領土問題の緊張を理由として、できるだけ解散を先延ばししたいという本音が見え見えの会見だった。
しかし、野田首相は、国軍を持たない日本が、これまで何とか隣国に自制的対応をとらせてきた先人や私達の外交努力等の積み上げを、民主党自身がぶちこわし、領土問題の緊張を高める元凶となっていることに、どこまで気付いているのだろうか。

(国軍を持たない日本)
軍事力の行使は、政治学的には、「ウルティマラティオ(ラテン語で最後の手段)」と言われるが、古来、領土問題は、外交的解決よりも、残念なら、武力紛争で決着するケースの方が多かった。
そして、武力紛争に至らぬまでも、行使できる軍事力を持つことは、外交的に大きな抑止力となることはいうまでもない。

しかし、先の大戦を経験した日本は、実質的に占領軍が起草した新憲法により、国軍を持たず、国の交戦権を否定する道を選択し、多くの国民も、これを支持してきた。
ただ、国軍を持たず、軍事力も行使できないことは、外交的には、他国よりもカードが少ないというハンディを負うことを意味する。
そのような中で、日本は戦後、どのようにして、領土問題について、隣国に対し、つい最近まで、おおむね自制的な態度をとらせることができたのだろうか。(非常に重要な米国の態度)
1945年8月15日、日本は、ポツダム宣言(同年7月26日の米国、英国、中華民国の共同宣言)を受諾、無条件降伏した。
このポツダム宣言は、「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」しており、宣言に関わった3国の中で、圧倒的な力を持った米国が、日本の主権の及ぶ「諸小島」の範囲を決定する仕組みになっていた。
このように、わが国の領土問題を考える場合、米国が超大国であるという政治的意味だけでなく、国際法的にも、米国の支持を得ることは、非常に重要ということになる。
その米国は、近年までは、比較的、日本の立場に好意的だったと言って良い。
まず北方領土については、例えば1992年のミュンヘンサミットで、米国は日本の立場を支持、 北方領土問題がグローバルな重要性をもつG7全体の共通の関心事項であることを確認させるなどの成果を上げ、その後の1997年の橋本・エリツィン首脳会談では、領土問題の解決が、相当具体的なところまでに進展した。
竹島問題については、サンフランシスコ講和会議の際、1951年8月、竹島が韓国領であるという韓国の主張に対し、米国は、「この通常無人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の1部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある。この島は、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない。」とその主張を却下した。ちなみに、この文書は明確な外交伝書であり、後述する米国地名委員会の判断と異なり、国際法的な拘束力を持つことは疑いない。
さらに尖閣諸島についても、戦後沖縄を占領した米国は、尖閣諸島の久場島に在日米軍の射撃場を設置、尖閣諸島の海域を海軍の訓練区域に指定、沖縄の1部として、1972年、施政権を日本に返還した。

ところが、例えば竹島については、2008年、米国地名委員会が「帰属未定の地」と標記していた竹島について、ブッシュ大統領とライス国務長官(いずれも当時)は、韓国側の猛抗議を受けて地名委員会に圧力をかけ、「韓国領」という標記にさせてしまうという、政治的にはまずい事態となってしまった。
また、2010年に、「尖閣諸島は日米安全保障条約の適用範囲内」と明言したクリントン国務長官らも、その後は微妙に言い回しを変え、最近は、「米国は、尖閣では特定の立場をとらない。」「(日米安保の適用対象の発言は撤回しないものの。)1定の状況が重なった場合に(日米安保条約の)日本防衛(義務)が適用される。」とするなど、いささか及び腰という印象だ。

(米国の支持をつなぎ止めてきた日本側の政策と戦術)
さて、領土問題については、政治的にも、国際法的にも、米国の態度は極めて重要で、その米国の支持をつなぎ止めるため、日本自身が相当の努力を払わねばならないのは、当然のことだ。
それでも、冷戦期、わが国が、米国の支持をつなぎ止ることは、比較的簡単だった。日本列島は、地政学的に、ロシア(ソ連)や中国(中共)の太平洋への出口に当たっており、自由主義陣営にとって、共産化を食い止める防波堤の役割を持っていた。当時、日本に共産政権を誕生させないためにも、米国は日本の立場を支持した。
ただ、冷戦が終結すると、今度は日本の側が、積極的に汗をかき、努力する必要が出てくる。
これに関しては、1990年代以降、自民党政権により、2枚腰の政策が進められた。

第1は、自衛隊による国際貢献だ。
1991年の湾岸戦争で、日本は、かつてのベトナム戦争と同様、人的貢献に消極的だった。ただ冷戦はすでに終わっており、結果、わが国は、米国はじめ国際社会から、相当冷たくあしらわれ、冷戦後の風向きの変化にようやく気付くこととなった。
このため、翌年PKO法を制定、自衛隊による国際貢献で、米国はじめ国際社会の信頼を勝ち得る方向に舵を切ることとなる。
特に、2001年の同時多発テロ後のアフガン戦争やイラク戦争では、自衛隊のインド洋派遣(2001~2010、2007~2008の間、民主党の反対により法律が失効して一時中断)、自衛隊のイラク派遣(2001~2009)を実施、米国だけでなく、国際社会から高く評価され、また、感謝された。

第2は、憲法改正の議論の本格化だ。
日本は平和国家を目指すべきだが、その1方、どのような方法で国土と国民を守るべきか、最終的には、憲法改正の議論が必要だ。ところが、戦後60年、わが国には、憲法改正の手続きを定める法律がなかった。このため、自民党は、「論憲」方針を打ち出し、2000年、国会に憲法調査会を発足させ、2007年、憲法改正国民投票法の成立にこぎつけた。
法案審議では、私は、4人の提出者の1人として、どのような質問が飛んでくるか分からない中で、国会答弁の実務を担い、票に結びつきにくい仕事をしながら、長時間拘束された。実際、共産、社民などからは攻撃的質問を受け、TV朝日には事実と異なる報道をされるなどの紆余曲折もあるなど、相当に汗をかいた。
それでも私は、米国が、その国益を投げ捨てて日本を守ってくれるはずはなく、国民が、憲法改正の議論を進めるという事実を積み上げることが、隣国にも、相当な抑止力になるものと考えた。
また、多分米国も、日本がもしも米国並みの軍事国家となっては、やはり困ることになると思っていた。だからこそ私は、日本に憲法改正論議の仕組みができることは、米国が、日本に対し好意的な態度をとり続ける1つの要因ともなると考えた。
このように、どのような憲法を創るかという点は措くとしても、憲法改正の議論を本格化すること自体が、日本外交に厚みを与えることとなったことは間違いないと思う。

(領土問題の緊張を高めた元凶は民主党政権)
このような2枚腰の努力を、ことごとく否定し、ぶちこわしてきたのが、民主党だった。
2007年11月、参議院で多数を占める民主党の反対によりテロ特措法が失効し、自衛隊によるインド洋での給油活動が中断、時のブッシュ政権は、日本の姿勢に困惑、これが影響したのかどうか断言はできないが、竹島問題について、外交的には表向き中立としながらも、実は韓国寄りの姿勢を示す(先述の地名委員会の件)。
そして、2010年、タリバン勢力が息を吹き返し、アフガン情勢が緊迫化していたにもかかわらず、社民党の強硬な要求を容認し、自衛隊によるインド洋の給油が完全にストップしてしまう。
2009~2010年の普天間問題に関する鳩山政権の迷走も、米国を困惑させることになった。もっとも、客観的に言えば、普天間基地が移転できなかった場合、最も迷惑を被るのは、沖縄県民であって、基地を使い続けることができる在沖米軍ではない。その意味で私は、インド洋給油ストップの影響の方が、日米関係への悪影響が大きかったように思う。ただ、鳩山氏の「トラストミー」に始まった迷走は、米国当局に対し、民主党政権に当事者能力が決定的に欠如していることを印象づけたことは間違いない。

憲法改正の議論もそうだ。
民主党は、2007年7月、参議院で多数を制するや、憲法改正国民投票法の実質施行に猛烈に抵抗、結局、その後3年間、国会では、憲法改正の議論どころか、憲法の勉強すら行われない状況になってしまった。
3年半の休業期間を経て、2011年、ようやく、法律に規定された「憲法審査会」が衆参両院に発足したが、憲法には素人の議員が多く、1から勉強をやり直しているようで、これでは、隣国向けにも、米国向けにも、何も発信するものもないし、抑止力などになれるはずがない。

結果、わが国の隣国が、領土問題について自制的態度をかなぐり捨てるのは火を見るよりも明らかだし、案の定、米国も、インド洋給油再開と普天間の辺野古移設への淡い希望のあった2010年以降は、日本に対し、よそよそしい態度をとり続けている。
まさに民主党こそが、領土問題の緊張を高めた元凶に他ならない。
その民主党の代表である野田首相が、「我が国の周辺海域で主権に関わる事象が相次いでいる最中に、政治的な対応に空白をつくることは、国益の観点から絶対に避けなければなりません。」といった詭弁を弄し、解散先送りを図ろうとするのは、国家・国土と国民を危うくする行為だ。

領土問題は、首相が会見を開いて、「○○はわが国固有の領土」と粋がって見たところで解決するものではない。彼は、日本の主張に加えて、「国際的な信頼を再構築するため、通常国会閉会後可及的速やかにテロ特措法を再提出し、自衛隊のインド洋における給油活動を再開し、今まで以上の国際貢献を行います。」と言うべきだった。そうすれば、首相の会見にも、迫力が増したに違いない。

もっとも、早期の臨時国会開会、テロ特措法の再提案となれば、これまでの外交上の失点やマニフェスト総崩れのブレを理由として、自民党などの内閣不信任案攻勢に遭い、加えてほぼ全ての民主党議員がテロ特措法に頑強に反対した経緯からも与党内造反者が出、不信任案可決、解散総選挙への道を辿る公算が強かろう。
それでも良いではないか。政権交代こそが、最大の領土問題解決策なのだから。