「身を切る努力」のシステム化を~政府に批判的な専門的外部監査導入の提案
2012-2-23
今永田町は、消費税増税論議真っ盛り。もっとも、消費増税賛成派も、反対派も、消費増税論議の前に、税金のムダ使いを徹底的に排した上、国家公務員人件費削減や国会議員の定数削減など、「自ら身を切る努力」を国民に対して示さなければならないという点では一致している。
ただ、この「税金のムダ使いの排除」、「自ら身を切る努力」という言葉は、少しくせ者だ。
かつて野党時代の民主党は、「税金のムダ使いを排除」すれば、いくらでも財源が浮くという幻想を振りまき、ムダの例として、「居酒屋タクシー」問題などが告発されたことは記憶に新しい。
でも、終電過ぎまで仕事をして帰途につく公務員に、個人タクシーの運転手が税金でなく自腹で缶ビールを振る舞う「居酒屋タクシー」が、税金浪費の典型だったとするには無理があろう(缶ビール目当てでわざと居残り、タクシー代を浪費した不届きな公務員がいたとすれば、税金のムダ使いと言えなくもないが。)。
この告発は、針小棒大の類の、明らかなパフォーマンスだった。
ただ、今後さらに厳しくなる財政運営のことを考えた場合、パフォーマンスや誇張でなく、真に「税金のムダを排除」し、「自ら身を切る努力の実行」を確保する制度的な仕組みこそ必要だ。
その意味で私は、政治・行政の世界に、専門的外部監査を導入することを提案したい。(政治ショーに過ぎなかった民主党の「事業仕分け」)
民主党政権になって、「税金のムダ使い」を排除するため、鳴り物入りで「事業仕分け劇場」が導入された。
事業仕分けとは、「国や自治体の行政サービスについて、予算事業ひとつひとつについて、そもそもその事業が必要かどうかを議論。必要だとすると、その事業をどこがやるか(官か民か、国か地方か)を議論。最終的には多数決で「不要」「民間」「国」「都道府県」「市町村」に仕分ける。」(「構想日本」HPより)というものだが、この定義からも分かるように、基本的には、小泉内閣の「官から民へ、国から地方へ」の方向性を踏襲したもので、発想自体は民主党オリジナルではない。
ただ、外部専門家に加え、行政には素人の与党国会議員が多数仕分け人として参加し、公開の場で、しかも短時間で、政治ショーとしての「仕分け」が行われた点は、民主党的ではあった。
また、本来であれば、「不要」や「民間」と判定された予算額は減税や借金の縮減のために、「国でなく地方で行うべき」と判定された予算額は地方への財源移譲に、それぞれ回すべきだったにもかかわらず、民主党の「事業仕分け」の場合は、「こども手当」など、マニフェストに掲げた政策の財源として流用されたのが実態だ。
その結果、スーパーコンピューター開発費、「はやぶさ」後継機開発費、災害対策予備費などが「不要」、「減額」と判定され、浮いたお金が「こども手当」などバラマキ財源に流用された。
その後、スパコン京や「はやぶさ」の成功が世界的な評価を得、東日本大震災での政府の対応が遅れに遅れることとなるが、当時「不要」・「減額」と判定された事業と、「こども手当」などのバラマキ事業とでは、どちらが「税金のムダ使い」だったのだろう。
「事業仕分け」の有効性そのものを否定するわけではないが、民主党式の「政治ショーとしての事業仕分け」は、「税金のムダ使い排除」のため有効な手段と言えないことは明白と思う。
(外部監査の受け皿としての会計検査院の抜本改革を)
税金のムダ使いを排除するためには、外部の専門家が、予算の賢い使い方(ワイズスペンディング)が確保されているのかどうか、しっかりと監査・監視することが大切だ。
もっとも、「2番では何故だめなのか」といった、その場の思いつき発言で、長年努力して積み上げてきた事業を廃止してしまって良いわけはなく、分析力のある組織的受け皿も必要になってこよう。
そこで改めて重視しなければならないのが、憲法90条が独立機関として規定している「会計検査院」の存在だ。
諸外国の会計検査院は、ほぼ例外なく、その設置根拠が法律に規定されているが、わが国の場合は憲法、本来的には非常に格の高い機関であるはずだ。
ところが、例えば米英の会計検査院が、政策目的に応じた賢い予算措置がなされているかまで踏み込んで検査するのに比べ、わが国の場合は、あくまで決算の検査に特化する存在となっている。
加えて、米英の会計検査院それ自体の予算は、財務省の査定を受けないのに対し、わが国の会計検査院予算は財務省査定の対象となるため、財務省に対して頭が上がらない。
わが国の会計検査院は、このような制約の中にあっても、平成22年度だけでも約4300億円の税金のムダ使いを指摘するなど、相当頑張っているわけではあるが、これにより大きな武器を与えれば、「政治ショー」の派手さはなくとも、より実質的に機能するはずだ。
(政府与党にとっての「目の上のたんこぶ」を作れ)
「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対に腐敗する。」(アクトン)という有名な言葉がある。
「税金のムダ使い」の排除とは、権力を腐敗させない仕組みをどう作るかということでもある。
その1つの方法として、「政権交代」があるわけだが、残念ながら今の民主党、情報隠蔽・無責任体質に加え、露骨な族議員化が指摘され、天下りの排除にも消極的、私が直接聞いた現職民主党議員の言では「国民不在は自民党よりもひどい」そうで、これでは権力の腐敗を食い止めることはできまい。
でも仮に自民党が政権に返り咲いたとして、国民は夢を持てるか。悪い意味での「族議員」や「天下り」が復活するようでは、元の木阿弥、だからこそ自民党は、政権奪還を果たしたときこそ、反対勢力の声に耳を傾け、権力の使い方により謙虚でなければならない。
その意味で、政権与党にとって、「目の上のたんこぶ」となる存在を、敢えて国政の中にビルトインすることを自ら提唱すべきだ。
私の提案する会計検査院改革は、会計検査院を、時の権力にとって「うるさい存在」で居続けさせ、「身を切る努力」をシステム化しようとするもので、これを制度的に担保するため、会計検査院の組織を政権与党の批判勢力で固めることが有効と思う。
具体的な制度設計はさらに検討が必要だが、例えば、
・会計検査院の長は、野党第1党に指名させる。
・会計検査院の予算は、財務省から独立させる。
・会計検査院の職員採用は、現在のような一般職公務員でなく、特別職とし、院長が任命する。
・会計検査院の権限に、今の決算検査に加え、行政監視(具体的予算措置自体が、政策目的に合致しているか。)を加える。
・会計検査院の調査権限・勧告権限を拡充する。
といった方向で改革を行えば、会計検査院は、政権与党にとって、間違いなく「目の上のたんこぶ」となり、時の政権に対し、常に直諫する存在となるはずだ。
このように、憲法上の機関である会計検査院を、敢えて反対党の梁山泊とする位の度量を、わが自民党は持つべきではないか。
ps:なお、真の意味での会計検査院改革を実現し、緊張感のある財政運営を確保するためには、当面は法律による措置が可能としても、本来、憲法90条の改正が必要であることを付言しておきたい。