改革を志すならば勇気を持て~小沢問題で問われる民主党議員1人1人の資質
2010-1-19
1月16日、日比谷公会堂で行われた民主党党大会。報道によれば、小沢一郎幹事長が、徹底した検察捜査に対する批判を行い、さながら、政権与党・民主党を挙げて、「検察権力」との対決を確認する党大会になったとのこと。
そして、その前日、東京地検からの再三にわたる参考人事情聴取要請を拒否する小沢幹事長に対し、鳩山総理は、「どうぞ存分に闘って下さい」と激励したという。
私は、小沢問題の詳細を知る立場にはない。
また、捜査機関が、絶対に過ちを犯さないと言うつもりもない。
しかし、今の民主党の姿は、明らかに異様だ。
「私が個人資産で土地を買ったと言っているのだから信じなさい」、「やましいところはない。でも検察に対して話すのはイヤだ。」、「下らない質問をする記者の質問には答えない。」果たしてこれで納得する国民が何人いるのだろうか。
何よりも不思議なのは、今回の選挙で多くの国民の負託を受けた民主党議員=「選良たち」が、一切口をつぐみ、国民目線での発言を行おうとしないことだ。今私は、野にあって、再起のために力を蓄えている。
現在の民主党政権の無国籍的政策・成長軽視政策は、早晩行き詰まるだろう。
ただ、行き詰まった後の受け皿として、私は、「古い自民党」を選ぶ国民はほとんどいないと考えている。
だからこそ今、我々こそが、1市民として、市民の目線で、新しい「受け皿」となる国の戦略を作らなければならない。
そのために、私は、多くの方々の意見を聴いていかなければならない。
私は、この在野の時間を、天が与えてくれたものと思い、苦しみながら、修行に精を出している。
そういう目からすると、今回の小沢問題への対応でも明らかなように、国民の意見が、どこまで個々の民主党議員に届いているのだろうか。
大変疑問だ。
もっとも、私が、衆議院議員を6年間、国会対策副委員長を2年間やってきた経験からすると、個々の議員が、小沢問題について、「黙っていたい」という気持ちも、分からないではない。
小沢氏は、確かに怖い。
多くをここで述べるつもりはないが、小沢問題については、私もかつて、何回か国会で追及させていただいた。
他党であるにもかかわらず、わが党の先輩議員から、暗に、「葉梨君、余りやると大変な仕返しがあるよ」と何度か忠告されたことを憶えている。
それでも当時、私が鈍感だったからか、余り気にも止めなかった。
加えて、私も不器用なのだろう、鳩山問題、児童ポルノ問題等、自民党の先輩・同僚がいやがる質疑・答弁を頼まれ、一手に引き受け(させられ)てきた面もあった。
案の定色々な非難も受けることとなった。
これらの非難は、もとよりしっかりと受け止めていこう。
今後の肥やしだ(個々の問題についての解説、考え方等は順次今後のコラムで書いていこう。)。
でも、誰かが怖いから、誹謗が怖いから、誰に対してもいい顔をしたいから、「黙っていればいい」。それでいいのか?
そんな姿勢で本当の改革ができるとは、私には思えない。
政治家は、改革者として、ぶつかる姿勢、挑戦する姿勢を持たなければならないと思う。
さて、他党の私に対しても「忠告」がある位だから、民主党議員が、小沢氏を怖がる気持ちは、良く分かる。
だから黙っていて、本当の変革ができるのか?
潔白を主張するならば、堂々と検察当局に対して事情を説明すべきではないか。
何故そういう意見が、民主党の議員から出てこないのか。
国会議員は、国会の場で、自らの疑惑を明らかにすべきではないか。TV中継も大いにいいじゃないか、
何故そういう意見が、民主党の議員から出てこないのか。
維新の志士の多くは、脱藩してでも、談論風発、国造りを志した。
「お金の借り、役職(公認)の借りがあるから親分を信じる」では、旧態依然、昔の自民党の派閥政治そのものではないか。
これでは改革はできない。
民主党議員は、自らの国会議員としての地位が、公認を決定した小沢幹事長でなく、投票をしていただいた国民1人1人の力で得られたものであることを、もっと認識して頂きたい。
今回の小沢問題で試されているのは、民主党国会議員1人1人の資質だ。
日本を建て直し、改革を進めるには、「勇気」が必要だ。
私は、野にあって、苦しみながらも、「勇気」を培っていく。