「国や社会の姿」を考えない政治であって良いのか~政権を担う資格とは

2009-8-17

国や社会の姿を考えようと訴える

今、わが国は、大きな困難に直面している。
経済面では、米国発の金融危機に端を発した世界同時不況。
東アジアの国際関係では、北朝鮮の脅威、中国の台頭、ロシアの自信回復。
まさに、日本国と日本民族が、国際的に「尊敬される国」として生き残れるのかどうかの瀬戸際とも言える。
私は、衆議院議員としての2期目の4年間、先のコラムにも述べたように、一貫して農政問題などに取り組んできたが、このほか、前半の2年間は憲法改正国民投票法の制定に精力を注ぎ、後半2年間は、国会対策副委員長として、与野党激突の最前線に身を置いた。
そして、我が国を取り巻く状況がますます難しくなっているにもかかわらず、政治家が、目先の政権とり、すなわち政局に汲々としている姿を見て、私は、大変な危機感を持っている。私は、初当選以来、とかく「票に結びつかない」と言われる憲法問題に、積極的に取り組んできた。
これは、我が国が21世紀の荒波を乗り切っていくためには、明確な国家ビジョンを示すことが何よりも重要だと考えたからだ。

我が国がかつて、大きな困難に直面したとき、そこには必ず、将来の国家ビジョンを議論する若者の姿があった。
明治維新、昭和恐慌、敗戦による疲弊、ときには誤った政策に結びついてしまった場合もあったが、そこには、談論風発、国の将来を思う情熱があった。
例えば戦後の場合、マッカッサーから、4等国と罵倒されながら、平和の尊さを認識しつつ、米国を見返すことができる国にしていこうという明確な意識と、議論があった。

戦後64年を経過、我が国が、21世紀の荒波を乗り切るためにも、国際的な問題に我が国がどのようにコミットメントしていくのか、自助・共助・公助のバランスをどのように考えるのか、教育において、国家や郷土のことがどのように教えられるべきかなどといった、明確な国家ビジョンを提示していくことが必要だ。

そして、このような国家ビジョンは、詰まるところ、憲法をどのようにしていくべきかということに帰着するが、もとより、国民自らが、議論し、決めていかなければならない問題だ。
だからこそ私は、衆議院議員としての2期目の前半、憲法改正国民投票法(議員立法)の提案者として、参議院の委員会などで、数十時間にわたる質問・答弁に携わりながら、その成立に力を傾けた。
国民が、自らの意志で、将来の国家ビジョンを決められない(決めようとしない)国は、早晩滅びてしまうと考えたからだ。

おかげをもって、憲法改正国民投票法は、平成19年5月に成立、この法律により、その年の夏から衆参両院に置かれることとなった「憲法審査会」において、護憲・改憲も含め、国会で、本格的な憲法の議論が始まるかに見えた。
しかし、平成19年の参院選で、自民公明の与党が参議院での過半数を失い、民主党が参議院での主導権を握ることとなる。

結果として、それ以来、衆参の「憲法審査会」は1度も開かれず、憲法に関する国会での議論は、完全にストップしてしまった。
民主党が、社民・共産両党との連携を重視し、参議院での多数を良いことに、「憲法審査会」の定数、議決の方法等について定める「憲法審査会規程」の制定に応じなかったためだ。

私は、衆議院議員としての2期目の後半の2年間、国会対策副委員長として、民主党の主張に触れてきたが、彼らの頭にあるのは、国家でも国民でもなく、政権をとるためには何をすれば得かという判断基準だけだということを痛感した。
さらにこの間、民主党は、財源の裏打ちもないのに、
○中学生以下1人当たり年31万2000円の子供手当支給
○ガソリンの暫定税率撤廃
○高速道路無料化
等々、自助・共助でなく、公助によって、国民にアメを与える、「パンとサーカス」政策(ローマ帝国のバラマキ政策)のメニューを打ち出し続けた。

そして、彼らは、「明治維新以来の革命を、政権交代により成し遂げたい」など、恥ずかしげもなく言ってのける。
ただ、維新の志士たちと民主党との決定的な違いは、維新の志士たちは、国家ビジョンの議論に命を懸けたが、民主党は、このような議論を徹底的に避けてきたことだ。
彼らは、明らかに維新の志士と違う。

「パンとサーカス」政策は、国家ビジョンには成り得ない。
単なる大衆迎合で、将来必ず破綻することが目に見えているからだ。
今という危機の時代、国民の代表である国会議員、政権を担うべき政党には、「国や社会の将来の姿」を真剣に考えることが、極めて強く求められている。
そして、「政権交代」の美名の下に、将来の国家ビジョンを議論しない政党に我が国の将来を委ねるのは、極めて危険なことだ。

このような票に結びつかない政策を訴えることは、選挙としては大変苦しい(だからこそ民主党は無視している)のだが、何としても勝ち上がり、国会の場に、しっかりした憲法論議、国家ビジョンの議論を根付かせていきたいと思う。