予算審議過程での誤解10カ条(4)~「道路色」のお金がある?ムダな道路を作るため従来の5年計画を10年に?

2008-3-18

答弁する冬柴国土交通大臣

2月25日の予算委員会での質疑に関するコラムも、今回が最終回、その第9条と第10条。

よくある誤解第9条「『道路特定財源』という『道路色』のお金があるから、必要もない道路が作られる」

これは、一見もっともらしい理屈だが、「道路特定財源の税収額」イコール「道路投資額」である場合は、あるいは成り立ち得るかも知れないが、現状のやりくりを考えると、誤解に類するものだ。
すなわち、平成19年度中の「道路特定財源」の税収総額は約5.6兆円だったが、「必要な道路」を作るにはとても足りず、この年、国費・地方費の道路投資総額は約6.8兆円と、約1.2兆円の一般財源(地方交付税、国公債等)由来のお金を投入せざるを得なかったという現場の状況が忘れられている。
仮に今、「道路特定財源」の税収のうち暫定税率分2.6兆円の歳入欠陥が生じたらどうなるか。
今でも一般財源から1.2兆円をたしているのだから、これをさらに増額(他の支出を引っ込めて)せざるを得なくなるということだ。そもそも、3回前のコラムでも指摘したが、民主党の政策は、暫定税率廃止(2.6兆欠損)、高速道路無料化(2.5兆欠損)、最低賃金大幅上げ(1.4兆支出増)、高所得世帯も含む子供手当創設(5.1兆支出増)等々、ざっとみても18.9兆円のお金が必要で、国家公務員全員を馘首にして5.3兆円を浮かしても賄えない勘定だが、それでも彼らは、道路については、「やりくりをして、特に地方の、必要な道路整備予算を確保する。」と言い張る。
これでは、教育や福祉といった大所の支出を削らなければならないのは明らかで、削らなければ、増税か借金しかない。

2.6兆円との税収といえば、ほぼ、消費税1%分に相当する。
お金に、「道路色」のお金があるというわけではない。
この問題は、結局、「必要な道路」を作るためのお金を、消費税で賄うか、ガソリン税で賄うかという問題に帰着して来る。

もしも、ガソリン税で賄うとすれば、「申し訳ないけれども、ガソリンに、他の物品よりも高い税金をかけさせていただきます。その理由は、道路を作るためなのです。」ということを、法律で、ユーザーに説明し、宣言してあげなければならない。
税理論では、この説明を称して、「目的税」とか「特定財源」とか言っているわけだ。
ところが、世間では、「特定財源」という耳慣れない言葉が出てくると、何かその裏に「魑魅魍魎」が潜んでいるような印象を持たれることが多いが、これは、多分に、荒唐無稽な漫画的宣伝が浸透した影響もあるのではないかと、私は思っている。

また、「特定財源を一般財源化すれば、ガソリン税収を教育や福祉に回せる」という論もあるが、これも、「必要な道路投資」が、「ガソリン税収等」を上回っている現状では、「教育や福祉」に回す算数は成り立たず、ほとんど意味のない議論だ。
すなわち、名目上「一般財源化」したところで、お金に色はないから、結局は「ガソリン税収等」を上回る「必要な道路投資」をせざるを得ず、むしろ、自動車ユーザーからの、「ガソリン税でなく消費税でやってくれ」という批判を生みかねない。
実は、今回の政府案は、「道路を作る目的でガソリンに他の物品よりも重い税を課す」方針を明記しつつ、「でも、道路投資額は、『真に必要な道路』に絞ることとするので、特定財源の税収が余ったら、教育や福祉に使わせて下さい」というものとなっている。
私はこれを、「自動車ユーザーへの説明に配慮」しながら、「実質上、道路特定財源の一般財源化」を図る、絶妙のバランスの上に立った案と理解しているが、政府も、このへんのところを、もっと分かりやすく宣伝すべきではなかろうか。

よくある誤解第10条「今までの5年計画を10年に延長した今回の『道路の中期計画』は、道路利権を温存するため」

これも、テレビなどでは、面白おかしくとりあげられ、国会でも、野党議員から、決して品があるとは思えない質問が浴びせられた論点だ。
ただ、質疑の中でも申し上げたが、私自身、自民党の中に、「道路族の利権」なるものがあるの否か、極めて疑問に思っているが、少なくとも冬柴大臣のような「公明党の大臣」が、「道路族の利権なるもの?」を守るための仕事をするとは、とても思えない。

そして、今回、従来の5箇年計画でなく、10年計画とした経緯の中では、北側前国土交通大臣(現公明党幹事長)のリーダーシップが大きかったように思う。

経緯を申し上げる。
2005年、わが国の人口は減少に転じた。
我々政治家が、今考えなければならないのは、「現在の安心を確保しつつ、未来の世代の負担をいかに少なくするか」ということだ。
その文脈で、2006年6月には、2011年までに国の基礎的財政収支を黒字化し、そのための歳出削減策として、公共事業を、毎年1~3%削減するという、「2006骨太方針」が閣議決定された(私は当時、公共事業歳出改革PT副主査として参画)。
しかし、公共事業費の中には、既存ストックの維持更新費(橋の補修費等)も含まれ、これが毎年「義務的費用」として増えてくる。
その義務的費用増を勘案すると、
○公共事業費毎年1%削減の場合は2030年代初頭?
○公共事業費毎年2%削減の場合は2020年代半ば?
○公共事業費毎年3%削減の場合は2010年代末?
には、新規投資の余裕がなくなり、公共事業費は、全て、既存ストックの維持更新に充てざるを得なくなる。
このように、今後10年間は、我が国にとって、必要なネットワークを「概ね完成させる」ための最後のチャンスだ。

例を挙げよう。
昭和62年に、「高規格幹線道路(高速道路)14000㎞」という閣議決定がなされた。
でも、現在供用されているのは約8000㎞、あと6000㎞が、従来と同じ4車線高架で、あと10年の内にできようはずがない。
かつての閣議決定は、この10年間で精査されなければならない。
そして、4車線高架でなくとも、「現在の国道の再整備」とか、「完成2車線の整備」で足りないか等の検討を行わねばなるまい。
そして、「14000㎞は何が何でも造る」という発想でなく、「今の道路を活用するなどして、実質的に、14000㎞のネットワークがつながった状態にするにはどうしたらよいのか」ということを真剣に考える必要がある。

北側前大臣が、2006年、「今後10年で、我が国の道路整備を概成させるための計画を作るように」と、事務方に指示したのも、このような事情によると、私は推察している。
計画について、不断の見直しを行うのは大いに結構。
ただ、我々には、「今後10年間」という期間の意味を、「利権云々」という漫画的捉え方だけでなく、わが国の将来設計の「最後のチャンス」として、正確に捉えていく視点も必要ではなかろうか。