北朝鮮問題タウンミーティング~市民の皆さんとの地道な対話
2007-3-8
2月24日(土)の午後は、地元取手市でのタウンミーティング。テーマは「北朝鮮問題」。
できるだけ一般の方に聞いていただきたいという趣旨から、後援会や自民党を通じての特別の動員はかけず、新聞折り込みと、早朝駅頭でのチラシを配っての案内だけだったので多少心配したが、50人を超える聴衆に集まって頂いた。
まずは成功の部類か。
内容は、私から、約1時間強にわたり、北朝鮮経済の現況、経済制裁の効果、6カ国協議参加国の関心事項などについて説明した上、核問題・ミサイル問題・拉致問題を包括的に解決するために、わが国がとるべき方策についてお話をさせていただいた。
その後活発な質疑。
約2時間が、あっという間に過ぎた。これまでのコラムでも大分書かせていただいているが、私は、北朝鮮問題について、北朝鮮人権侵害問題対処法の立案や、議員外交の第一線で活動するなど、相当コミットさせていただいている。
この日は、議員外交の現場等で感じたことなどをお話しさせていただいた。
かいつまんで書いてみる。
余りマスコミで取り上げられていない視点だが、私は、2002年の小泉前理(当時)の訪朝は、ある意味で、北朝鮮にとって、好ましくない国際環境がある中で実現したという認識を持っている。
まず米国は、ブッシュ大統領が、年頭の一般教書で、北朝鮮を「悪の枢軸」の1つとして名指しした。
次に韓国では、その年の暮れの大統領選挙で、北朝鮮に対し強硬な態度を表明していたハンナラ党の李会昌候補の優勢が伝えられていた(実際は、廬武絃現大統領が勝利)。
さらに中国では、その年の5月、瀋陽総領事館事件が発生し、大きな問題となった。このため、北朝鮮から逃れた脱北者を拘束し、北朝鮮に強制送還するなどの露骨な対北朝鮮支援が、できずらくなっていたという事情もあった。
このような中、「対話と圧力」を掲げる小泉総理(当時)が訪朝。
結果として、北朝鮮は、レバノン、タイといった、他のどこの国に対しても認めこなかった「拉致」という国家犯罪の存在を、日本に対してのみ公式に認めざるを得なかったわけだ。
しかし、現在、北朝鮮を取り巻く情勢は、当時とは相当異なっている。
まず米国だが、ブッシュ政権自体は存続しているが、昨年11月の中間選挙で、上下両院で民主党が多数を占めることとなった。
そして、民主党は、対テロ戦争もさることながら、もともと、人権問題に熱心であるという伝統がある。
次に韓国の廬武絃政権は、2003年の発足以来、北に対する融和政策である「太陽政策」をとってきた経緯がある。
また、中国は、2008年に北京オリンピックを控え、北朝鮮の体制崩壊などによる混乱を望んでいないように見える。
さらに、最近元気なロシアの中には、「拉致」という「日朝間の2国間問題」が国際的な問題として提起されると、「北方領土」という「2国間問題」に影響を及ぼすことを心配する人もいる(APPFでの私の交渉相手であったロガチョフ議員(元駐中国大使)もそうだった。)。
我々は、こういった情勢の変化を踏まえた上で、核・ミサイル・拉致問題の包括的解決を図るために、何をすべきなのだろう。
わが国独自の制裁措置に加え、北朝鮮が路線転換を強いられるような国際環境を構築していくことが必要だろうし、国連だけでなく、6カ国協議(日、米、中、露、韓、朝)の場は、問題解決のために極めて重要だと思う。
その中で、我々は、わが国にとって、米国とのパートナーシップの一層の強化が必須であることを、認識しなければなるまい。
だからこそ、イラク特措法の延長は勿論のこと、対民主党対策も睨みながら、人権問題としての拉致問題を、大いにアピールしていく必要があろう。
また、中国やロシアを巻き込んでいくためにも、レバノンやタイなど、その国民が、北朝鮮による拉致の被害にあったとされる国々とも連携し、拉致の問題を、単なる2国間の問題でなく、国際的な人権問題としてクローズアップしていく努力も必要だろう。
いずれにしても、地道な取り組みが大切だ。
この日は、他にもいろいろとお話させていただいたが、こういった市民の皆さんとの地道な対話も、今後、折を見て企画していきたいと考えている。