本格的地方の時代こそ議会機能の強化を~首長に対する権力集中への危惧
2006-4-28
この数年、地方分権改革や三位一体改革(国から地方への権限と財源の移譲)が進み、本格的「地方の時代」が幕を開けつつある。ただ、その一方でささやかれるのが、知事・市長などの「首長」に、今まで以上に権限もお金も集中するという問題だ。
勿論、直接公選の首長は、大いにリーダーシップを発揮すべきだ。
しかし、人間誰しも完全ではあり得ない。
だからこそ、同じく住民代表である議会との間で、常にチェックアンドバランスが確保されることが極めて大切だ。
もちろん、効率性だけから見れば、「ああでもない」「こうでもない」という、議会での議論は、一見ムダかも知れない。
でもそこは、「民主主義の学校」と言われる地方自治、経済効率だけでは割り切れない側面もあろう。
4月25日の総務委員会、私は、そんな認識を持ちつつ、「地方自治の憲法」と言われる地方自治法の改正について、経済学者出身の竹中大臣との議論に臨んだ。さて、今、「地方でできることは地方へ」のスローガンの下、地方への権限・財源の移譲が非常に早いスピードで進んでいる。
例えば、平成17・18年度は、国からの3兆円のひも付き補助金が廃止され、地方の裁量に委ねられることになった。
財源移譲の方法が、大都市に有利すぎるという不満はあるものの、首長を頂点とする地方自治体の執行部が、今まで以上に権限と責任を有することになったのは間違いない。
加えて、この数年で、市町村合併が大きく進んだ。
財政上のスケールメリットという理由のみでなく、合併特例債という「恩典」効果もあり、市町村の数は、平成12年の3200から、平成18年3月には、1800に減少した。
これに伴い、市町村会議員の人数も、平成の合併が軌道に乗る以前の平成14年と、合併に係る市町村議員の在任特例が終わる平成19年を比較すると、31%と大幅に減少することとなる。
これらが何をもたらすか。
1つは、首長へ権力の集中。
金も、権限も集中する上、権力をチェックすることとなるはずの議員も、定数が減った分、生き残りで精一杯ということが起こる。
2つは、行政に対する住民の距離感の変化。
かつての役場が支所として残ったとしても、今まで自分たちの代弁をしてくれていた地域出身の議員もいなくなる。
住民からしてみると、やはり大きな距離感の変化だ。
私は、先の行政改革特別委員会でも質問に立ったが、行政部門の効率化は、徹底的に行うべきという立場だ。
しかし、議会による行政へのチェックをどう確保すべきか、教育委員会や農業委員会などが、どうやって住民の多角的意見を吸い上げていくかということは、行政でなく、まさに「民主主義」の問題だ。
そして、私は、このような、議会や行政委員会に関する制度設計については、「効率性」の観点だけでなく、「多角的民意の反映」という、別の意味での配慮が必要と思う。
竹中大臣への質疑では、法案について、以上のような点を明らかにしつつ、「地方自治が民主主義の学校」であることをしっかりと念頭において、今後の地方制度の検討を行うべきことを求めた。
また、今後の課題ではあるが、私は、首長の直接公選制をとる地方自治体においては、ある意味で、議院内閣制をとる国の統治機構以上に、行政部局と議会とのチェックアンドバランスを確保する仕組みが必要と考えている。
このことは、大統領制をとる米国において、大統領府と議会とが、厳格な権力分立のシステムにより規律されていることからも理解されよう。
もっとも、この問題は、かつての「中央集権日本」、「3割自治」の時代、余り意識されてこなかった。
国が首長を監督していたため、意識する必要もなかったということかも知れない。
しかし、これからは違う。国による監督は期待しようもない。
だから、「首長と議会の緊張関係の制度的確保」という視点は、本格的「地方の時代」の幕開けを迎えた今こそ、極めて重要だ。
もっとも、実際の制度設計は、万事アメリカ式が良いというわけにもいくまい。
やはり、地方議員の意識改革などの努力を行いながら、わが国にあった制度は具体的にどういうものか、見定めていくことが必要だ。
私は、今回の自治法改正はあくまで一つのきっかけだと思う。
これからも、地方議会の機能強化のための努力と検証を重ね、しっかりとした制度改革にいかしていくことが大切ではないか。