義務教育の水準確保とは~公立小中学校教職員給与の国庫負担問題

2005-10-22

現在、公立小中学校教職員の給料は、その半額を国が支出し、残りを都道府県が負担するという制度がある。

教職員給与について質す

いわゆる「義務教育国庫負担制度」と言われるものだが、「国から地方へ」をスローガンとする小泉三位一体改革の中で、今、この補助金(年間約3兆円)を廃止すべきという議論が起こっている。
実は、昨年12月の文部科学委員会で、私は、国が半額支出する教職員の給料のあり方について、「警察官にはその制度がないが、工夫次第の面もあるのでは」という指摘を行った。
そして、去る10月20日の自民党文部科学部会。
私は、「義務教育国庫負担制度」存続の必要性は認めつつも、現行通りの国の負担率に拘泥するのでなく、地方の創意をいかし、義務教育の水準を確保するため、もっと柔軟な考え方を持つべきという意見を述べた。
今日は、そこらへんを書いてみよう。この「義務教育国庫負担金制度」を巡っては、国からの補助金を廃止するとともに、従来の補助金額に見合う県民税の税率を上げること(税源移譲)を主張する総務省と、制度の堅持を主張する文部科学省の綱引きが続いている。
現行制度は、国が2分の1を補助するいえば聞こえはよいが、補助金の予算額の決定権を国が握ることで、国が教職員人件費の総額を事実上決めているため、国が地方を不必要に縛っているというのが総務省の主張。
これに対し、東京都など一部の裕福な県はいいが、県民所得の低い田舎の県は、県民税の税率が上がっても、従来の補助金に見合う税収が得られず、結果として、義務教育の水準確保に支障をきたすことになるから、制度を堅持すべきと言うのが文部科学省の主張だ。

実際、現在、地域ごとの担税力の基礎となる一人当たり賃金の格差は極めて大きい(全国を10とすれば東京都は12、沖縄県は7.5程度)。
だから、私は、国と地方を通じた義務教育予算の7割強を占める人件費について、国が、貧しい自治体も念頭に、教育目的の財源保障を行うことは、やはり必要だと思う。

もっとも、現行の義務教育国庫負担制度は、「優れた制度」(中央教育審議会の答申む)かも知れないが、「最高に優れた制度」かどうかは疑問だ。

1つは、補助率2分の1ということに余りこだわらなくても良いのではないかという疑問。

教職員の給与や定員を国がそこまで保障しなくても、教職員は、自分たち自身が、「日教組」という、大変な圧力団体を持っている。
ある程度補助割合が低くても、また、税収が少なくても、強大な「日教組」が頑張れば、教職員の定数や給与のカットにはつながらないのではないかという点だ。

2つは、義務教育の水準確保を、人件費補助だけに頼って良いのかという疑問。
昭和60年、行政改革の流れの中で、学校の教材費や図書費についての国の補助金が廃止された。
その結果、現在、各県の豊かさの違いで、教材費等に大きな格差が生じてしまった。
文部科学省は、このことを理由に、現行の教職員給与補助制度がなくなったら、各県で同じような格差が出ると主張するが、それはちょっと違う。
すなわち、人件費の場合は、公務員の身分保障や労働組合があるため、どんなにカットしようとしても限界がある。
ところが、教材や図書は労働組合を作れない。だから自治体は、いくらでもカットできる(あるいは、PTAにお金を出してもらえる。)。
本来必要な補助金は、人件費でなく物件費であったのかも知れない。
他にも、遅々として進まない学校校舎の耐震改修もある。
本当は、子どもの安全に関わるこんな分野にこそ、国の関与が必要だ。
ところが、文部科学省は、(個人的には、日教組の圧力もあったと想像するが)これまで、「国の関与は人件費補助」の原則を崩さなかった。
これではいけない。

私は、教育に対する国の責任を明らかにするとともに、地方に対する必要な財源保障を行うため、「義務教育国庫負担制度」の思想は、やはり維持すべきと考えている。
ただ、機械的に人件費の半額を補助するのみという現行制度が、義務教育の水準を確保するため、必ずしも最善の制度なのだろうか。
今の仕組みに拘泥するのではなく、義務教育の水準を確保するために真に必要な国の財源保障のあり方などについて、私は、しっかりとした議論を進めていきたいと思っている。