憲法改正国民投票制度の早期策定を~立法府の責任として
2005-10-6
10月6日の衆議院憲法調査特別委員会は、憲法改正国民投票のあり方について、初めての自由討議。
しかし、現在、国民投票の手続きを定める法律は作られていない。
自民・公明・民主・国民の各党は、それぞれ、憲法改正のイメージこそ異なるものの、早急に国民投票法案の検討に入るべきという方向性では、おおむねの一致を見たように思う。
ただ、共産・社民は、「国民投票制度がないことは、必ずしも立法不作為とは言えない。」、あるいは、「憲法改正国民投票制度の検討は、憲法改正の発議とセットで検討されるべきもので、逆に言えば、憲法改正を前提とした議論だ。」など、警戒感を募らせているような印象。
私も、憲法本体については改憲論者ではあるが、この日は、憲法改正の問題とは別に、技術的問題として、憲法改正国民投票制度を切り離して検討することが可能だし、国民の意識啓発のためにも重要という観点から、次のような意見を述べた。まず第1に、護憲論者が良く言われる、「憲法改正国民投票の手続きの未整備は、国会の怠慢、すなわち、立法不作為には当たらない」という議論について。
実は、法律論だけから言うと、この論は、全く一理もないわけではない。
すなわち、憲法改正国民投票制度が整備されていないが故の具体的な損害や被害を立証することはなかなか難しく、今裁判所に、国民投票制度の不存在について「違憲」の訴えを起こしても、「訴えの利益がないから門前払い」ということは十分にあり得る(というよりも、現在の裁判実務からは、確実に門前払いされる。)。
しかし、このような考えは、いわゆる「個別的違憲審査」(問題があったときに憲法判断を行う)に固執した「法律家」の議論で、「政治家」の議論ではない。
我々は、国民の負託を受けた国会議員だ。
やはり、立法府の責任として、国民主権という憲法の基本原則を実現するためにも、国民投票制度をあらかじめ定めておくことが、我々の責務ではないか。
第2は、憲法について国民的議論を深めるためにも、国民投票に参加できる者の範囲等を確定しておくことが必要という点。
実は、現行憲法は、公務員の選挙についてのみ、「成人」による「普通選挙」という定めを置いているが、憲法改正国民投票については、何の規定もない。
だから、今までは、どの範囲の人が国民投票に参加するかという基本的な点すら決まっていなかったわけだ。
どの範囲の者が憲法改正の国民投票に加わり得るのかという点は、国民の間で、憲法についての論議を深めるために、極めて大切なこと。
そして、これは、いわゆる「護憲派」の方々にとっても、何故「護憲」なのかということを、どの範囲の国民に訴えていくかという意味で、やはり必要なことと思う。
第3は、国民投票運動の規制のあり方についても、発議の際にあわてて制定するのでなく、あらかじめ、しっかり議論しておくことが必要ということ。
おぼろげながらの考え方としては、この日も、国民投票運動は基本的に自由、でも、買収は禁止という方向性の意見が多かった。
しかし、「買収」と一言で言っても、決して単純ではない。例えば、「運動買収罪」の捉え方如何によっては、技術的な問題ではあるが、新聞広告すらも違反になる可能性までもある。
やはり、このような技術的な問題は、当然のことながら、憲法改正の発議の内容と切り離して、あらかじめ、国会において議論しておくことが必要であろう。
もとより、憲法改正の発議がどのような内容になるかにより、国民投票の手続きが変わってくるということもあり得る。
全面改正の場合、部分改正の場合、さらに、部分改正であっても、ある条項と別の条項を切り離して判断を仰ぐことができる場合と、そうでない場合も出てこよう。
これらの点はさらに検討が必要と思うが、だからといって、国民投票制度の検討を棚上げにしてしまうことは許されない。
今まで述べたように、発議の形式や内容と切り離して、国民投票の手続きを議論することが可能な部分も大きいからだ。
そして、憲法に関する国民の理解をより深める意味からも、国民投票の手続きを早期に確定しておくことは、我々国会議員に課せられた使命ではなかろうか。