確かな政治で確かな未来を!!日本を立て直す
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2007年10月1日

福田新内閣始動(H19.10.1)

10月1日、福田新総理の所信表明演説が行われ、いよいよ、国会論戦の火蓋が切られた。写真は、福田総理が国会対策委員会室を訪れた折のツーショット。代表質問に続く予算委員会の論戦では、私もバッターに立つことが予定されている。気を引き締めて、政局や党利党略のみを念頭に置くことなく、国民に分かりやすい政策論争を繰り広げていきたい。

2007年9月29日

日本公共政策学会のパネリストに(H19.9.29)

9月29日、「日本公共政策学会東日本支部」の設立総会が、東京・青山で開催された。渡辺行革相による記念講演の後、「公務員制度改革で日本の政策形成はどう変わる」と題する2時間の記念シンポに、自民党代表のパネラーとして参加。政策研究大学院大学の飯尾教授をコーディネーターに、民主党の松井参院議員、聖学院大学大学院の増島教授、一橋大学の田中准教授がメンバー。私は、「公務員制度改革は、給与改革などと異なり、本来政治主導であるが、政治的争点とすべきものでない」などと主張、丁々発止の議論が行われた。

2007年9月21日

若手との懇談会での福田総裁候補(H19.9.21)

自民党総裁選挙期間中に行われた福田康夫総裁候補と若手議員との懇談会の模様。小泉改革路線の継承は大切だが、何事にも大慌てで反応、健康を害し、政治空白を作ってしまった安倍政権の反省の上に立つと、ここは、バランス感覚と対話を重視する姿勢が重要と思う。このため、私は、辞意表明の翌13日、舛添厚労相、宮澤衆院議員らと相談、14日に政策研究会「安心と希望」を結成(私は事務局次長)、福田氏に政策提言を行い、福田支持を明らかにした。「希望と安心」は、福田新政権のキャッチフレーズになった。

2007年9月18日

まちを洪水から守る~消防団等のコミュニティ政策を強化せねば

古戸の排水ポンプ場に出動

今、マスコミは自民党総裁選挙の話題で持ち切りで、私自身も、安倍首相の突然の辞意表明後、バタバタした毎日を送っている
ただ、今日は、その話でなく、9月6日から7日にかけて首都圏に猛威を振るった台風9号のもたらした大雨による利根川の増水に、私が所属する取手市消防団第6分団がどう対応したか書きながら、消防団等を支援する政策の必要性について書いてみたい。
私の分団では、団員への連絡は、携帯メールが利用される。そのメールで、消防署から、排水機(排水ポンプ)場への出動・泊まり込みが必要になるかも知れないので、待機して欲しい旨の連絡があったのは、台風が上陸する数時間前の9月6日18:02。
国会対策委員会の会合が夕刻まで延び、まだ私が、東京にいる時間帯だった。利根川は、日本を代表する河川で、その堤防は極めて堅牢、決壊の可能性は非常に低い。
それなのに、利根川が増水すると、何故「排水機(排水ポンプ)場」というところに、消防団員が泊まり込まなければならないのか。
これは、「内水」の問題があるからだ。

2007年9月16日

自民党総裁戦立会演説会(H19.9.16)

9月16日、自民党本部で開催された福田・麻生両候補による総裁戦立会演説会の模様。当初14日告示・19日投票の予定だった総裁戦は、13日の両院議員総会で議論百出、23日の投票(25日首班指名)となった。両院議員総会では、私も、「新総理が国連総会(23~26日)に行くよりも、民主的な手続き確保されることが大切」と発言した。国連総会出席を取りやめれば、政治空白は必要最小限で済むからだ。立会演説会は、福田候補には準備不足の感もあったが、「落ち着き」と「キャラ」という、両者の持ち味が十分に出た。

2007年9月16日

守谷市消防ポンプ操法大会(H19.9.16)

9月16日は、取手・守谷両市で、消防団主催の消防ポンプ操法大会。私の分団も、7月下旬からの夜間練習に励んできたが、それにしても今年はことのほか暑かった。この日は、早朝、取手市第6分団に合流、取手市での開会式の後守谷市へ(写真)。取手市の大会での競技の結果、第6分団は惜しくも準優勝だった。昼過ぎに着替えて東京へ。総裁戦の立ち会い演説会。その後取手に戻り、分団員と打ち上げ。

2007年9月7日

新たな状況下国会対策副委員長に就任~今後の国会論戦は決定的に重要

副大臣・政務官を招集した国対委(9.6)

第168臨時国会は、9月10日に召集される。
与党は、衆議院では絶対多数を確保しているものの、先の参議院選挙の結果、参議院では過半数を大きく割り込むことになった。
自民党政権下では、小渕内閣の時代、与党が参院の少数会派に転落したことがあった。それでもこのときは、自自公、自公といった枠組みの連立政権を組み、与党として、参院での多数確保を果たすことができた。
しかし、現在、民主党との大連立の可能性はほとんど皆無だ。
その意味で、衆参ねじれという状況は、戦後誰も経験したことのないもので、今後の国会の行方は極めて不透明ということができる。もっとも、1つだけ確かなことは、与野党の政策の優劣を国民の前に明らかにし、その正確な判断を仰ぐためにも、国会論戦の意義が、これまで以上に重要になるということだ。
そんな中、私は、8月30日の人事で、自民党国会対策副委員長に指名された。
大島理森国会対策委員長(元文相・農相)を支え、今後の国会運営という「海図なき航海」の舵取り役を担うことになったわけだ。今まで、「国会対策」というと、与野党が密室で取り引きし、談合を重ねているようなイメージを持たれやすかった。
かつて、自民党のみが、両院の多数を占めていた状況では、与野党の間で、「この部分は野党に花を持たせる」、「野党の顔が立つように見せ場を作る」といった話し合いや取引が行われるというケースもあるいはあったかも知れない。
しかし、今は、「衆参のねじれ」の時代、私は、「国会対策」は、質の面で、大きく変容せざるを得ないと考えている。

2007年9月7日

古戸排水機(排水ポンプ)場(H19.9.7)

私の所属する取手市消防団第6分団が管理する古戸排水機(排水ポンプ)場。樋管の水門が閉められると、黄色矢印の貯水池に、生活排水等の内水が貯まっていく。これが一定の水位になると、24時間体制で機場に待機する第6分団員がポンプを操作し、内水を、利根川側に強制的に排水する。その配水管が赤の矢印(ただ、平成10年の増水時は、2台あるポンプの1つが故障し、数軒に浸水被害が出てしまった。)。こうした消防団の地道な活動が、写真右手後方、取手中央タウンの皆さんの生活の安心を守っている(コラム参照)。 

2007年9月7日

増水した利根川(H19.9.7)

9月6日から7日にかけ、首都圏を直撃した台風9号による大雨で増水した利根川。取手市内の高台から大利根橋(全長1000㍍)方面を望む(9月7日夕方)。河川敷は、通常時はゴルフ場になっているが、これが完全に水没。写真ではちょっと分かりずらいが、まるで湖のようだ。砲台グリーンのポールの旗も水に浸かり、ゴルフ場の木が島のように見える。利根川は日本第1の河川、大雨が過ぎて晴天になってから、徐々に増水し、わが消防団による水防活動も数日間続く(コラム参照)。

2007年9月5日

「自由・平和・活力」の日本を創らなければ~保守本流・宮澤元総理を悼む

宮澤元総理とその文章

8月28日の日本武道館、去る6月28日に逝去された故宮澤喜一元総理の内閣・自民党合同葬が、しめやかに営まれた。
氏は、池田勇人、大平正芳及び鈴木善幸といった総理大臣を輩出した名門派閥「宏池会」を率い、「軽武装・経済重視」の、いわゆる「保守本流」の代表選手であった。
そして、1951年のサンフランシスコ講和会議への全権随員として参加の後、1953年から2003年までの50年間、国会議員として在職、総理のほか、蔵相、外相等の主要大臣を歴任、戦後政治を名実ともにリードされた。
私は、午後1時に会場に入場し、会場を出たのが午後3時半、厳粛な葬儀に参列しながら、故宮澤元総理が体現された、「保守本流とは何か」、「戦後政治とは何か」ということを考えていた。
「保守本流」路線とは、良く、外政面では、日米関係を基調としつつ、アジア戦略も重視する「ハト派」、内政面では、「大きな政府」を指向してきたと言われることがある。
でも本当にそうだろうか。例えば、「保守本流としての大きな政府路線は、冷戦の終結とバブルの崩壊によって、歴史的潮流から取り残され、転換を迫られたが出来ず、『失われた10年』となった。」(中川秀直前自民党幹事長)という主張もあるが、これはちょっと事実と違うように思う。