国民投票法案の審議促進を~悲しくなる小沢代表の無責任な発言
2007-3-25
3月15日の衆議院憲法調査特別委員会。野党議員が着席せず、委員長席に詰め寄る中、憲法改正国民投票法案(与党と民主党がそれぞれ別個に提出)について、中央公聴会が議決された。
野党側は、これを「強行採決」と決めつけて一方的に非難、小沢一郎民主党代表も、「自民党が民主党案に賛成するならいざ知らず、公聴会のセットが多数で強行されたことは非常に遺憾だ」、「国民投票法案は憲法改正に限らず、国政の根幹や国民生活の根本にかかわる重要な政治課題についても国民の意思を問える一般法であるべきだ」といった発言を繰り返している。
しかし、この発言、ご自身は国会をサボっているから知らないのかもしれないが、これまで与野党合意形成に向け、我々実務担当者が積み上げてきた真摯な議論を全く無視した無責任なものだ。しかも、内容的にも、憲法への自らの無知を、いみじくもさらけ出しており、まさに、国民投票法案の成立先延ばしだけを狙った後ろ向きの発言ととられても仕方がないと思う。
野党第一党の党首がこうでは、心底、悲しくなってしまう。今日は、野党の方の勘違いを指摘しておきたい。
まず、野党の方々は、今、「安倍総理が、『自分の任期中に憲法改正をしたい』と発言したのは、3権分立を揺るがす越権行為であり、これが国民投票法案の成立を遅らせている。」と主張している。
しかし、55年体制下の、閣僚が「憲法改正」と一言言った途端に首が飛んだ「言葉狩り」の時代は、もう過去のものとなったはずだ。これは、閣僚のトップである総理についても、例外ではない。
そして、総理といえども、1人の国民、1人の議員である以上、その信念として数年間のスパンでの「憲法改正」を希望する旨発言したとして、誰も非難できまい。
勿論国民の中には、総理と違う考えの方もたくさんおられよう。
私は、総理も含めて、多くの国民が、それぞれの憲法への想いを、改憲護憲をタブー視することなく、積極的に語るべきと思う。
そもそも、憲法を作るのは「国民」であって、「国会」ですらなく、ましてや「総理」ではない。また、現行憲法上も、総理や内閣には、憲法改正の発議権はない。
我々は、わが国の将来の指針となる新たな憲法は、国民の間の真摯な議論に則って、初めて生まれてくるものだということを、肝に銘じるべきだ。
だからこそ私は、必要以上に、国民の1人としての総理の発言を規制する必要はないし、総理の発言に過剰に反応しすぎるのも、いかがなもかと思う。
さて、国民投票法案について言えば、私達は、我々が提出している法案の内容は、特定の改憲案を想定したものではない、極めて公正中立なものと自負している。
そして、私も、常々、自民党総裁としての総理に対し、法案の早期成立への支援はお願いしており、総理も、早期成立への期待を表明されているが、これは当然のことと思う。
我々国会議員が今なすべきことは、「総理がこう言ったから気にいらない」といった駄々をこねることではなく、明鏡止水の境地で、早期に、国民の目から見て、改憲・護憲のいずれの立場にも偏らない、公正中立な国民投票手続法を創っていくことだと思うし、ただ、それだけのことだ。
しかし、小沢代表の発言の方は、憲法改正国民投票制度の構築のために、実害を伴う。
憲法改正国民投票の仕組みは、この数年、憲法改正論議がタブーでなくなってきた状況にかんがみると、国民主権の原則からも、一刻も早く構築せねばならない。
改憲派であれ、護憲派であれ、国民主権を信奉する以上、最終的に国民の意思を問えるようなシステムを整備しておくことは、やはり必要だからだ。
ただ、憲法改正以外の国政の案件について、国民投票(直接民主制)を導入すべきかという点については、ことはそう単純でない。
このような一般的国民投票は、そもそも、代議制民主主義を定めた現行憲法に違反するという考え方も根強い上、歴史的にも、直接民主制的な手法は、ナポレオン3世が有名だが、「独裁者」が濫用し、自らの政権強化に利用してきたという、苦い教訓がある。
だからこそ、民主党案提出者の枝野憲法調査会長でさえ、一般的国民投票制度を定めた民主党原案について、「小林先生(小林節慶応大学教授)などの御意見を踏まえると、(一般的国民投票を定めた民主党原案については)憲法にかかわることに限定をして諮問的国民投票制度を入れるというふうにした方がいいのかななどということをちょっと党内的にも議論しなきゃいけないなというふうに思っております。」(H18.11.16.衆院憲法調査特小委員会)と、率直な評価を述べている。
こうした議論を踏まえると、相当客観的に言って、一般的国民投票制度の制度設計には、これを導入するか否かも含めて、少なくとも数年の検討期間が必要だ。
だからこそ、私達も、一般的国民投票制度については、憲法改正国民投票制度が構築された後、国会に置かれることとなる憲法審査会の場で真摯な検討を進めようという提案を申し上げ、担当者レベルでは、ほぼ、合意の一歩手前まで来ていたのが実情だ。
そこに、(党内からも再検討の必要が指摘されている)民主党原案に固執する小沢代表の発言。
これは、言い換えれば、「一般的国民投票制度が導入可能になるまで、国民投票法案の成立を先のばしせよ」と言っているに等しく、実は極めて後ろ向きの議論だ。
そして、この小沢代表の姿勢は、自らの「憲法」に対する無知をさらけ出しているばかりでなく、今後最低でも数年間にわたり、「憲法制定」という「国民の根源的権利」を、国民が持つことができないという大きな実害を、わが国にもたらすこととなる。
憲法も、所詮政局の道具だと考えれば、まあ理解できないでもないが、それにしても、野党第1党の党首がこうでは、本当に悲しくなってしまう。
3月15日、千葉県旭市での憲法ミーティング(日本青年会議所千葉ブロック協議会主催)。
私は、この日午前中の衆院憲法特で、与党のみが出席して公聴会日程がセットされたことに関連し、「小沢代表の言うとおりにすると、国民投票制度は少なくとも数年間お蔵入りせざるを得ない。これでは、我々はとても付き合えない。」旨述べさせていただいた。
私自身は、今、民主党内の良識派の方々に、大いに期待している。
そして、一刻も早く、憲法改正国民投票法案の早期成立に向け、前向きの、かつ、まともな議論ができる環境を整えて欲しい。
ただ、民主党がこの体たらくで推移すれば、「憲法改正国民投票法案に党内の大半は賛成だが、党内の旧社会党議員を中心に反対論もあり、また、選挙での社共との共闘も期待する故、結局は、法案について態度を決められなかった民主党」が、本当に、「政権担当可能な責任政党」と言えるかどうかを問うという意味で、「憲法改正」が、参議院選挙の大きな争点に浮上することは間違いあるまい。